共に創る喜びを!
~真剣に取り組んで、自分の力を100%注いでこそ得られるもの~

飯村 亮(いいむら りょう)さん

神奈川県在住。就職氷河期を乗り越え、国内電機メーカーC社に勤務。技術職として半導体ICチップやBluetooth通信規格のためのモジュール、その他多数の事業に携わる。技術職でありながら自ら改善策を顧客に提案、更に新規契約を獲得するなど、先鋭的なアプローチが社内でも評判となった。ランニングが趣味で、各種マラソン大会にてペースメーカー登録をするほどの実力。時々走って通勤することも。ご家族で卓球も楽しみ、社会人クラブチームに所属しているそうだが、高校生の息子さんにはかなわないとのこと。


つまらない仕事の中に隠れていたもの

就職氷河期初期に就職活動をすることになった飯村さん。「働く」ことと真剣に向き合い、自分はどんな仕事がしたいのかを探求していきます。

僕の就職活動の時期は、バブルがはじけて二年目、いわゆる就職氷河期の始まりのころです。高校で留学したので一つ上の学年に友達がたくさんいるのですが、みんな大変そうだなという印象でした。
それまで超売り手市場と言われ、楽勝だと思っていた就職活動が急にバブルが弾け、いきなり就職氷河期と言われる時代に突入したので、みんな何もわからない状態でしたからね。僕は彼らの話を聞いて、大変そうだな、大変なんだろうな、とある意味心構えをしながら就職活動をスタートしました。

いろいろな業界にエントリーしてみつつも、どういう仕事なら楽しいかな、と考え、自分に問いかけていました。もし生活に困らないお金を十分に持っているとしたら、もし生涯賃金の2-3億円がすでに自分の銀行口座にあったら、自分は何をするだろうかって……結局のところ働くんだろうなと。
高校の部活が野球部だったんですが、現役を引退して、今日から部活はない、何もやらなくていい、という状態に、一日半で飽きてしまったんです。その一日半は寝たりテレビを見たりしていたと思うんですけど。自分の時間が与えられすぎるのもあんまりよくないなと思いました。休みは嬉しいけど、休みばかりでは自分の性格に合わないんだと思います。だから、もしすでに大金持ちだったとしても、何か自分が楽しいと思う仕事はするのだろうなと思っていました。

では、どんな仕事なら楽しいだろうか、ということを考えてみました。そうすると、「難しいこと理解して、人に伝えるような仕事」というテーマに絞られていきました。その基準で取捨選択していって、医薬品営業のMRと迷いましたが、最終的に国内電機メーカーのC社に決め、入社することになりました。

研修が終わって配属されたのは、半導体を取り扱う部署です。一般的に半導体というと二種類あって、半導体の中にあるIC回路でできる処理がすべて決まっていて、変えることができない、既製品のようなものがハードウエア。それに比べて、ひとつひとつ独自の処理をプログラミングしたものがあり、ソフトウエアと呼ばれています。
僕の部署で取り扱っていたのは、基本的にはハードウエアでありつつ、ソフト的に回路を書き換えることができるという、ハイブリット仕様のものでした。お客様が必要な機能を備えたハードを作ることで、細かなご要望にも応えることができます。当初、このソフト的な一面を持った商品をお客様に説明することが主な仕事でした。

一見、就職活動の時のテーマだった「難しいことを理解して、人に伝えるような仕事」に就けた状態ですね。でも、決まりきったことを説明するだけだったので、満足感は得られなかった。取引先のオフィスを訪問して、お客様のご要望をお聞きしてるうちに、お客様が作った回路で、うちの商品では無駄となってしまう部分が見えてきます。
そこで「この機能を実現したいなら、こうしたら効率的ですよ」とお伝えしたり、ちょっと直したりして、小さなカイゼン活動のようなことを始めました。それが当時の責任者の耳に入って、どんどんやれ! と言っていただけて、どんどんやりました。当時は今ほどセキュリティが厳しくないので、お取引先にちょっと顔を出して、隣の席の人の相談を聞いているうちに、仲良くなって一緒に飲みに行ったりもしましたね。
当時、その取引先の自社シェアはほぼ0%だったのですが、それが20%超シェアを獲得できたので、効果があったということでしょう。

当時は、自分が持っている知識で人に説明する仕事ができる事が、面白くてたまりませんでした。でも、二~三年経った頃、逆に説明するのが不安になってきてしまいました。自分は大学を卒業してから初めて半導体のことを始めました。自分の商品の知識はついたけれど、半導体の全体像からすると、それはごく限られたエリアのことでしかないなと。
「難しい事を理解して人に伝える仕事」を目指していても、その「難しい事」は、素人が二~三年で身につけてしまうレベルでいいのだろうか? という不安でした。会社から求められる結果が出ていても、自分としては物足りなさがあったんですね。何か新しいことをに挑戦して、新しい知識を得てみたいという気持ちが強くなり、責任者にお願いして新しい事業の担当者に推していただきました。

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