必要とされるところで、最高に輝いていたい
ターニングポイントとして、今につながる方向性を決める出来事を上げてくださった湯澤さん。更にその根底には、お父様の在り方を見つめ続けたご記憶がありました。
ターニングポイントは4つありますね。1つ目はやはり、R証券会社での最初の上司、Aさんから退職する日にいただいた「君なら出来るから、信じてやりなさい」という言葉です。これは今でも困った時に鮮明に思い出して自分を奮起させています。仕事に厳しくて一度も褒められたことがなくて、それこそ99点でも許してくれないような方だったからこそ、最後の最後でのこの言葉が染み入りました。
2つ目は、E社の採用面接で人事マネージャーから「人事か経理か、どちらかにしろ!」と言われた時ですね。覚悟を決めろ、という厳しい指摘で、決めることの大切さを思い知らされました。あの時、経理と答えていたら、今とは全然違うキャリアになっていたと思いますが、後悔はしていません。そういう意味では、R証券会社で人事に配属されたこともターニングポイントと言えるのかもしれません。
3つめは、G社を退職し、お世話になった社会保険労務士の先生の業務委託を引き受けたことと、それにより社労士常駐型のニーズに気付くことが出来たことです。当時はそんな働き方があるなんて思いもしませんでしたから。そうでなければ、普通に事務所を構えて、給与計算や就業規則作成をするような、社労士という専門グループの一員でしかなかったと思います。社労士でありつつ、「元・人事マンが常駐して、お困りごとを解決します」というスタイルが、他の社労士との差別化になりました。最近はテレワークも普及し、オフィスはなくても企業は存続できるんじゃ、なんて言われたりしますが、その先駆けだったのかなと感じます。
最後は、遠藤晃さんの「チームNO.1」というビジネスコミュニティに参加したことです。時期としてはハラスメント防止コンサルタントの客員講師をしていた頃と重複しています。遠藤さんの教えの1つに「ビジネスにおいて自分自身がNO.1になれる分野を作れ」というのがありまして、自分がNO.1になれる分野は何だろうと考え、当時、世の中的にもパワハラの相談件数が増加していましたので、パワハラ予防のコンサルティングが思い当たりました。予防や対策の分野では社労士や人事が対応しているはずなのですが、インターネットで調べてみてもパワハラ研修を開催している人やパワハラのコンサルティングを専門に行っている人は殆ど見つかりませんでした。これはいける、パワハラ予防ならNO.1になれる! と確信した瞬間でした。また、パワハラWeb診断ツールを共同開発することになった平井社長との出会いもチームNO.1でした
仕事を通じて得たものは、自信──正しい努力をすれば、正しい結果が付いてくるという自信、でしょうか。目の前に来た仕事に全力で取り組んで、その積み上げが自信につながると思っています。なのであまり長期的な目標を立てません。長くても1年くらい先までです。クライアントの意向など、自分でコントロールできない部分も多々ありますし、下請け的な位置づけになることも多かったことも影響していると思います。だからというわけではないですが、新規顧客獲得よりも既存のお客様としっかり向き合うことを大切にし、売り込みせずに選ばれ続けるために、商品やサービスを常にアップデートしていくことを心掛けています。必要とされるところで最高に輝いていたいですね。
得たものという点では、当たり前ですが収入もあります。収入を得て自己投資をできるようになったことが大きいなと思います。チームNO.1をはじめとしたセミナーに参加できるようになったり、最新のPCを複数台購入したり……よくライスワークとライフワークなんて言ったりしますけど、生活資金に余裕ができたからこそ自己投資が出来て、今の仕事をライフワークと言えるようになったのかなと。その意味では、今の仕事内容には満足していますが、社労士という肩書にはこだわりはありません。
私にとって、その仕事が好きかどうかよりも、必要とされる喜びの方が大きい気がします。今でこそ人事の仕事に約30年携わっているということでそれなりに優位性が出てきましたけど、就職活動をして採用先が決まらないというのは、理由が何であれ、世の中から必要とされていないと言われたような気持ちになりますからね。そういう時は「絶対に見返してやる! 学歴がダメなら仕事で見返すしかない!」という反骨心が原動力になっていました。これは亡き父が持っていた職人魂にも通じるものがあると思います。父はいわゆる孫請け的な自動車部品製作所を自営していました。父が作ると不良品が全然出ないので、子供の目にも高い技術を持っているのが分かりました。でも、孫請けなので父の名前が世に出ることはないんです。「脱下請け」して、対等の立場で仕事が認められることが私の仕事スタンスの一つになっていると思います。
思えばそんな父の死もターニングポイントなのかもしれません。 2020年4月のコロナ禍による緊急事態宣言を受けて、自分にもある種のパラダイムシフトが起きました。それまではどちらかというと、事務所に来るのがまじめ、長時間働くのがいいと考える、少し古いタイプの仕事人間だったんです。ですがこんな状況で、ニューノーマルを作り出さなければいけなくなり、今までとは真逆の行動、思考をしてみよう、と思い立ちました。働く場所はオフィスじゃなくてもいいじゃないか、長時間働くのではなく超短時間で爆発的な成果を出してみよう。そんなふうに多様性を受容できないと、これからの時代は生きていけないのでは、居心地が悪いところにこそ何かしら成長の芽があるのでは、と考えるようになりました。そうすると、今まではと断っていたような仕事も、もう一度検討してみたりするようになります。自分とは違う価値観でも、それを受け入れることが出来る器の大きな人のイメージを根底に置くことで、今まで見えていなかったものが見えてくるかもしれない、と考えています。
どんな時も「人」を大切にされてきた湯澤さん。将来のことを伺うと、「お金がない子供を助ける財団を立ち上げる」「究極的には総理大臣」など、人に関わる様々な問題を解決したいという強い思いが垣間見えました。一方、時代や社会が大きく変わりつつある今を受け入れ、ご自身も少しずつ変わっていこうとされるご様子は、目の前のこと、今日この1日に全力で取り組むことを大切にされている証なのだなと思ったのでした。
(文章:吉田けい)
湯澤さんに聞いた
10年後、20年後のセルフイメージ
湯澤社会保険労務士事務所 https://www.office-yuzawa.com