遅れてきたマミートラックと「働く」を見つめた苦悩の日々
「私にはないな」と思っていたマミートラック。しかし、思わぬタイミングで陥ることになります。「何もやれていない」と苦悩する会社での時間の中で、大好きだった「会社」「仕事」を手放すしかないのか、と逡巡する日々が訪れます。
復職後復帰した出向先から本社に異動になったのですが、そこでの仕事は補佐的な仕事でした。しかも「時短だからね・・・」というような部署で。
自分の強みや能力は加味されず、「時短」という事実だけを捉えられ、仕事も自分の良さを活かせるようなものではない。「なんで私はここで仕事しているんだろう」と思いながら会社に行っていました。
そういう時って個人の活動も自ずと低迷してしまう。特に私はママであることが強みの活動をしているのに、会社に来るとそれが弱みになっている、というジレンマがありました。
時短ということにはいろんな心象があるのはわかっているし、わがままは言わないけど、でもなぜこんなに部署によって違うのだろうと。会社という「はこもの」は一緒なはずなのに、こっちでは特性を活かしてくれて成果も出せて、こっちでは「時短だからね・・・」といわれる。当時はもう会社を辞めようと現実的に考えていました。
ちょうどその時に会社の新しい部門で公募があったんです。公募に手を挙げるのは今の部門を出たいという意思表示なわけですが、逆に辞めるって腹をくくっているから、受けてみようと思って。時短だからやっぱり無理ならば、会社のなかでは他のどこに行っても今の私は受け入れてくれないだろうと思ったんです。
結局、公募に受かって今年の4月に異動になりました。やっとそこで自分の強みを買ってもらって仕事ができるようになり、辞めようとまで思っていた時間を「暗黒の2年」と自分でも言えるくらいになりました。
その期間は、やっぱり苦しかったという感覚と記憶と、「辞めようと思った」ということは心に残ります。同じ会社に23年間いて、外に出たこともない、自信もない、でもそう決断するしかなかった、という事実は自分自身にとって大きなことでした。
地域での自分の活動でやっていることもそうだと思うのですが、やりたいな、と思うことを形にするのが私の好きなことなので、今回の部署では、また、人と話したり、考えたり、それが営業という形でできているというのはよかったなぁと思います。
今年の6月には武蔵野ワーキングマザーの会の活動も始めて、会社での仕事の底辺に伴って自分の活動も底辺になっていたのだけど、今は周りに恵まれて仕事も楽しいし、こちらもいろいろやりたいなと思ってがむしゃら感が出てきた感じはしています。
夫には、どんな形でもいいから働き続けてくださいとは言われていました。収入はおいといても、地域で活動をしていくのだったらそれを一生懸命やっていくのもありだし、なにかはやっていたほうが私の性格に向いている、と。後で聞くと、同じ会社ということもあって、内情もわかるし、当時はすごく考えてくれていたみたいです。