会社という「はこもの」から新しい「はたらく」へ
~仕事大好き人間のライフステージの渡り方~ 

 

奥野依理子さん

会社員
「境おやこひろば」共同代表
「武蔵野ワーキングマザーの会」共同代表

大阪出身。専門学校を卒業後、通信系の設備を扱う企業の情報システム部門に入職。スキルを買われてSEから営業へ転換し、実績を上げる。産休、育休を経て現在も同企業にて勤務。
その傍ら、2014年育休中より東京都武蔵野市において「境おやこひろば」を立ち上げ、約2年後に市との協働活動を開始。現在も定期的に活動を続ける。その他、ワーキングペアレンツはじめ、自分の世界を広げるために様々な活動に参画。会社での業務の傍ら、(株)ワーク・ライフバランス社のワーク・ライフバランスコンサルタントの資格を取得。武蔵野市まちづくり委員会の市民委員。2018年に「武蔵野ワーキングマザーの会」を立ち上げ。現在は6歳の息子さんの通う保育園の父母会会長にも着任中。

 


「仕事」大好き、自他とも認める仕事人間

「自分でもよくわからない」とおっしゃるくらいプロフィールに上げた以上に様々な肩書をお持ちの奥野さん。実際にお会いすればすぐに、パワフルでフットワークが軽く、きっとニコニコしながらてきぱきとお仕事をこなせる方に違いないという確信が持てます。もう20年を超えるという会社でのお仕事についてお聞きしました。

会社では産休前まで大阪でシステム開発の受託を受ける営業をやっていました。入社当初はSEで、2年くらいしたら「お前は喋れるから」ということで営業へ。基本的には通信インフラの工事など現場の多い企業で私が所属していたIT系の部分は異端的な部署でした。

入社して23年目になりますが、大きな異動は産後までなかったですね。会社自体女性が少なく、社員が1000人いたら80名くらい。基本的に女性は補佐業務が多いような古典的な会社です。なので、スタートの男女差はないけれど、昇格の男女差はそれなりにありました。その中で「どれだけ目立つか」という感じでがむしゃらにやっていたので、振り返ってみると昇格は早かったように感じています。

ある意味仕事人間で、若かったのもありますが、楽しかったんだと思います。残業はもちろんあったけれど、自分としては仮に残業代もらえなかったとしても、達成することがうれしかったし、任されていることがうれしかった。ある程度自分の裁量でやれて、人とコミュニケーションとってできる仕事だったので、とても楽しかったんです。

夫はもともと同じ会社の先輩でしたが、子どもが生まれるまでは、夫は東京都武蔵野市、私は大阪に住んでいました。
周りは子どもが生まれたら東京に、と考えていたかもしれないのですが、私は東京なんか行くかと思っていて。夫は私が大阪もその仕事も好きなことをわかっているし、私の考えに違和感なかったと思います。私も仕事で東京に来ていたし、夫も大阪に来ることもあり、割と頻繁に会えていた、ということもありますね。

でも出産を終えてみて、体力面での不安もありました。両方の母が高齢で、夫は東京で仕事、私は大阪で仕事と親のケアもあると考えると、育児は一人ではできないとわかったんですね。
それまでは東京に来て産んで、落ち着いたら大阪に帰ろうと思っていたけれど、産んでみたらそんなに簡単なものじゃないことに気づき、親のケアの優先度も上がってくると考えると、無理だな、東京に来よう、と決めました。

復職時、時短で営業はむずかしいかも、ということになって、社内システム推進を扱う出向先に配属になりました。提案書も書けるし、喋れるし、段取りもできるという強みを買ってもらって、外には出ませんでしたが社内の人とコミュニケーションとってすり合わせをして、という自分でも好きな仕事でした。時短勤務についても周りが理解してくれて、時短でも昇格していけるようなやり方で行きましょうとも言ってもらい、マミートラックはうちの会社にはないな、私にはなかったな、と思っていました。そこに2年いて、本社に異動になりました。出向先に置いておかず本社のためになるような仕事をさせたい、ということだったようです。

 

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