「はこもの」から自分自身の「はたらく」へ

「暗黒の2年」を乗り越えて、今また会社という組織の中で納得できる業務についている奥野さんですが、経験したからこその意識の変化がありました。会社での苦しい時期と、それでも続けてきたご自身の活動が新しい世界を運んできました。

地域での活動をしていて副産物としてよかったな、と思うのは、働く親の背中を直接見せることができたことがあります。6歳の息子を地域の活動や打合せに連れていくこともあるのですが、会議に出るのが好きで。息子曰く、みんなの話し合いで何かが前に進んでいく感じが、なにかが向かっていく感じがして楽しい、と言うんです。たまに意見言ったりして。(笑)
息子は、これもママのお仕事だと思っていて、私が企画をして準備をして、人前で喋っているのを見ていて、かっこいいって言ってくれるんです。

私の中での「仕事」ってやっぱりどっちかいうと会社での仕事だったんですよね。でも彼かにとってはこれも仕事。「ママの仕事が見られてオレはうれしい」と。私が人の集まる場所を作っていることは理解しているので、「自分もやるんだ」とか言っていますね。

今まではそれこそ、会社とともに自分の人生があったし、会社という「はこもの」自体を好きだと思っていたのですけれど、苦しかった時期があって、それは周りの人が好きだった、ということなのだな、と思うようになりました。周りの人が良くなければ会社にいることも苦痛になるし、その辺のことを実感して。会社は有限だけど、自分の人生はずっとある、と。

今は、会社に執着しようというのはいい意味で捨てています。いろんな地域活動をやって、働くっていうのが会社での仕事だけじゃないとわかったからですね。やっぱり労働というと、お金とか組織とかに繋がる思考もあるのですが、これも働くということ。
今はどっちかいうとひらがなの「はたらく」ということを大事にしたいなと思っていて、そのうちのひとつが今ずっと続けている「会社員」。「はたらく」のうちのひとつ、というとらえ方になりました。カッコつきで「収入源」ですね。(笑)
それ以外の活動が私自身の「はたらく」の中の、「人に提供したい、人の役に立ちたい」という部分を密接に表現できるところだと思っています。

大きな組織の仕事で誰かの役に立つのはなかなか難しい。でも市民活動って、多くの人があったらいいな、と思うことが、自分たちで企画することで「よかったな」という直の喜びに繋がる。一番近しいところで表現できる場だなと思って、こういう活動はやっぱりどういう形であっても、悪いように言えば自己満足かもしれないけど、身近なところで自分のやったことに誰かが喜んでくれれば続けていきたいと思っています。

会社の仕事も4月に配属になり、会社のため、というよりもそこで目標を達成できたら自分の自信になると思っています。会社の業績ではあるけれど、それを達成したら自分の自信に返ってくるだろうと考えています。
会社を辞めなきゃいけないとなった時も会社に執着はしない。会社がなくなってもお金が無くなっても、なんか動けること「はたらく」ことがあるかなと、今は思っています。

 

部下の方にも、地域活動のメンバーにも「とりあえずNOは言わない」とおっしゃる奥野さん。おしゃべり上手でてきぱきとして、記事にできなかったお話の中にもまっすぐな考え方や現実的な物事の捉え方が端々に伺えました。こういう方が上司にいたら、安心して「攻め」の仕事ができるだろうな、楽しいだろうな、と思えます。一方で辛いときには思い切ってジタバタしたり、悩んだりしながら活路を見出していく姿は、本当に人間らしく魅力的です。「この枠をどう超えていこう、と考える仕事の仕方が好き」という奥野さんの仕事の流儀は、奥野さんの人生の流儀でもあるのだなぁと感じました。これからのご活躍、楽しみにしています!

 


奥野さんに聞いた 10年後、20年後のセルフイメージ

 

 

 

 

 

 

 

 

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