すべての経験がキャリアになる
~直感と経験で進み続ける~
子育てママサポーター
世田谷ワーキングマザーの会 代表
ISD個性心理学協会マスターインストラクター
子育てカウンセラー協会子育てアナリスト
慶応大学卒業後、様々な職種で活躍。
現在は個人事業主として世田谷ワーキングマザーの会代表のほか、子育て支援の活動に多数参画。イベントやセミナーなどの企画催行を執り行う傍ら、子育てカウンセラーの知識を活かしたアドバイスも行う。
4歳と生後5カ月の2人の娘さんのお母さん。
今は「過程」。これから私は切り開いていくんだという思いを持ち続ける。
子育てサポートの活動を始めたのは最近のこと。ご自身の出産、育児での経験がきっかけだったそうですが、短い期間にも関わらず、量、質ともにその広がりはとてもパワフル。けん引する東さんの「それまで」は、どのような歩みだったのでしょうか?
新卒時は短期間でしたが、出版社でビジネス関係の記事のライターをしていました。
大学時代から書く仕事やジャーナリズムの仕事をしたいと思っていて、新聞社や出版社を考えていたのですけれど、就職活動中から違和感を感じていて。やってみたらやっぱり少し違うな、と。
実は大学付属の高校に入ったときから違和感はあったんですね。地元埼玉の中学校では成績もトップで怖いものなしだったのに、受かって入ってみたらみんな成績はいいし、お嬢様ばかり。劣等感や自己否定みたいな気持ちが湧いて、今では考えられないけれど、大学時代は人と話すのも怖い、というくらい自信が持てない時期もありました。
結局大学を卒業して、大学のレッテルを外せてプライドなんかも全部捨てて自由になった部分が大きかったです。いい大学出たのにもったいないと周りからは言われけれど、早く自分で何かしたい、独立したいと思っていましたね。
当時はライターの仕事で食品業界の記事を書いていて、食品業界おもしろいな、と思っていたこともあって、食品業界の小売販売の会社に転職したのです。
入社後すぐに店長になったのですが、きっとがつがつしてたと思います。23歳くらいで「上司が気に食わないから私店長やります」みたいなこと言っちゃったり、すごい生意気ですよね。でも有言実行じゃないけど、やるって言ったことは責任もってやります、みたいなところはありましたね。
そこで5年勤めた後、ハワイに留学もしたんですよ。海外に行ってみたくて。
20代はほんとうに感覚的だったと思います。自分は王道コースには向かない、泥臭いことをやりたいって思っていました。なのでキャリアというような、語れるものはないんですが、フットワークは軽くて。その時に何がやりたいかな、と思ったらじゃあ、やっちゃおう、と。何にも考えてなかったんです(笑)。好きにやらせてくれた両親には感謝していますね。
名門大学、その付属の高校時代に劣等感を抱いて自信を喪失していたこともあると語る東さんですが、その呪縛から逃れてから間もなくの「店長やります」宣言。プライドなんか全然なかった、とおっしゃいますが、内に秘めた自分を信じる力、人としての土台の強さを感じます。