自分の選択と家族

ひとクセある社長のもとで職場を取り持ってきた小手さん。穏やかなお人柄からも、十分にその時の様子が想像できます。小手さんのご家族、お子さん時代の話も少し聞かせていただきました。

基本、好奇心旺盛で人と会って話をするのもさほど苦にならないのですが、神経が図太いわけではなくて。小さい頃は父親の仕事の関係で、各地を転々としたんですよ。転校が本当に嫌でした。初めての登校日の前の晩はいつも緊張で眠れなかったです。

小学校はリトルリーグ、中学校は部活動で卓球に打ち込んでいました。一途にひとつのスポーツをやっていたということはなかったのですが、スポーツは大好きでした。
子どもの時は「遊び専門家」みたいな子で、学校から帰ってくると靴も脱がずにランドセルを家の中に放り投げて友達と遊びに外へ飛び出して行っていました。
その分、勉強は苦手で、両親はすごく心配していましたね。妹がすごく優等生だったもので、比べられるのがすごく嫌だった。終業式の日、通知表を持って帰るのが本当に憂鬱でしたね。

ですから早く両親から離れたいと思っていたのです。自活なんてできないけど、早く両親のもとを離れたいって。それで大学受験では実家があった福岡ではなく東京の大学を志望して、一人暮らしを始めることになります。

両親は、ものすごい家族愛があって、家族4人で生活できることが一番の幸せってずっと願っている人でした。だから悲しい気持ちもあったでしょうし、心配だったと思います。

レコード会社に就職した時も実は両親からものすごい反対にあいまして。やっぱり昔ながらの人間なので、大企業でできれば東証一部上場企業がいいとか、公務員は絶対つぶれないし、市役所とかに入りなさいという考えだったのですね。

友達は銀行だったり、証券会社だったり、いろんな大企業に就職していきましたけど、自分はお金勘定が好きなわけではないし、株に興味があるわけでもない。自分の好きなことって何だろう。スポーツとか音楽とかかなっていうことでシンプルにレコード会社を受けたのです。

レコード会社を転職した時も両親からはさんざん言われました。その会社大丈夫なのかって。(笑)

両親が他界したことも僕の中ではターニングポイントでした。もう心配をかける人はいなくなった、最後の最後に頼るところもない、自分で道を切り開くのだな、という覚悟ができたタイミングだったと思います。

妹は福岡の大学に入り、今も福岡で家族をもって暮らしています。昔はケンカもしましたが、今は仲がいいです。何一つ誇れることのない兄ですけど、お兄ちゃんお兄ちゃんって今も言ってくれます。本当は両親の墓周りのことも長男である僕がすべきなのでしょうけれど、近くに住んでいるということもあり、妹夫婦がすべてやってくれています。今も頼りになる自慢の妹です。 (笑)

次のページ

 

1 2

3

4