仕事、子育て、たくさんのタスクの中で「いつか」を決める

いつも夢を持っていた大庭さん。ご実家の家庭環境のこともあり、その選択を他人軸で考えることで先延ばしにしていた、とおっしゃいます。でも決断するときがやってきました。

同時に育休復帰後の仕事の仕方についてもモヤモヤもしていました。時短は取っていましたが、がむしゃらに働くという思考が変えられなくて。前と同じ仕事の仕方が自分の中で楽しかったのです。

でも、残業をすれば保育園で待っているこどもにごめんね、と思い、子どもの病気で仕事を休むときは会社のメンバーにごめんなさいと思い、どうしても仕事が休めない時に、子どもの具合が少し悪くても朝無理して預けて保育園にもごめんなさいと思い、どうしてずっとごめんなさいと思っているのかって。

そういう中で会社でも、時短を取っているのだから残業するのはおかしいという軋轢があることもありました。
子どもを産んでからというもの、会社の中でどういう立ち位置でいるべきか、ずっとモヤモヤしていました。男性社会で特に残業の多い会社では、母であることが働きにくさにつながったけれど、母であることを役立てられる仕事もあるのだは、とも考えるようになりました。助産師のこともずっと頭にありましたね。

それに加えて子どもが病気をしたり、それでも会社を休めない自分がいたり、もともと家族を大切にしたいと思っていたのに、何をやっているんだろうと。これは違うぞ、考え方を改めなければ、と思うようになったのです。

もうタイミングが合えばすぐにでも助産師になりたいと思っていたけれど、ブレーキだったのが実家の家庭環境のこと。
時を同じくして突然に父が亡くなりました。実家の面倒を見なければと思っていた原因は、主に父にあったのですが、父が亡くなったことで、「お前はもう自分の人生を歩んでいいんだよ」と背中を押されたような気がしました。

そして、その時「人間て、いつ死ぬかわからない。いつか、いつかと思っている場合じゃない、明日はないかもしれない」って。初七日が終わってすぐに、助産師になるので会社を辞めます、と上司に言いました。

それから数カ月後に退職。退職してから4カ月、猛勉強、人生でこんなに勉強したことはないくらい(笑)。勉強して社会人枠で卒業した大学にもう一度合格しました。4年間、高校卒業したばかりの同級生たちと勉強しましたよ。

思ったのは、学生って案外弱い立場だな、ということ。子どもが熱を出しても病気しても授業に出なければ単位を落とすし、実習の日は絶対。調整は効かないんですよね。

助産師時代の大庭さん同級生たちが若い頭でどんどん覚えていく中で、20歳近くも違う私は何度もやらなきゃ覚えられない。家に帰ったら家事も子育てもあって絶対的に勉強時間も短い。とにかく必死でした。
でも助産師過程にも入ることができて、出産の実習も無事終え、国家試験も終え、看護では首席で卒業できたようです。それは唯一自慢できることかな(笑)。

そしてそのまま付属の大学病院で助産師として勤めることになります。人生初めての夜勤です。
最初の1年目は仕事と家の往復。新人だから勉強もたくさんあるし、げっそり痩せました。

助産師時代の大庭さん

仕事自体はやりがいがあるけれど、やはり私自身に余裕がないと子供が不安定になりますね。ちょうど身内が体調を崩して夫にも頼りづらくなった時期でもあって。子育てを支援する仕事がしたくて助産師になったのに、自分自身が我が子とじっくり関われない状況は違うかな、と思うようになりました。それでも新人の1年は経験を積みたかったので死に物狂いで頑張りました。

2年間は病棟で助産師として働きましたが、その後の選択は明確で子育てと仕事を両立しながら働くために、昼間働ける外来での看護師パートに職種を変更しました。

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