分からないことを面白がる、とりあえずやってみる!
関屋さんは学生として研究や論文執筆をしつつ、興味のある分野を見つけるといち早く手を挙げ、チャンスをものにしていきます。当時の内面的な変化についてもお話ししてくださいました。
大学院では、もちろんゼミに在籍して自分の研究もしていました。このゼミに所属していたことが、私の内面に大きな変化をもたらしたな、と思っています。
私が所属していたゼミでは、認知行動療法とポジティブ心理学を取り扱っていました。ポジティブ心理学は、強みや喜びといった、ポジティブなものを取り扱うのが王道なのですが、私のゼミはちょっとひねくれていて、ネガティブな現象のポジティブな側面を研究していました。
たとえばある先輩は、「心配しすぎてしまう人は、その分いろいろなことを予測して対処できるから、パフォーマンスが高くなる」ということを研究していました。他にも、日本では「諦める」ことはあまり好ましくないことだと捉えられていますが、諦めることで次に行けるようになる、とも捉えることができます。これを「割り切り」という現象として研究する先輩もいました。あれはいい、これは悪いといった、前提や既成概念、社会的通念にとらわれずに研究できたことはとても良かったと思います。
それから、分からないことをそのまま「分からない」と言えることは、研究者としてとても大切なんだなということを学びました。
それまでなんとなく「分かっていなきゃ、知っていなきゃ、答えなくちゃ」という気持ちがあったのですが、もし分からなかったとしても、それを素朴な疑問として投げかければ、そこから仮説を立てることができます。当たり前と思われていることを自分は当たり前だと思えなかったら、それを疑問として投げかければ、新しい視点だね、と歓迎される。分からなくていいんだ、それをそのまま言ってもいいんだ、と、分からないことを前向きに受け止められるようになったことは、人間としても研究者としても、とても良い変化だったな、と今でも思います。
ちなみに在籍中に臨床心理士の資格が取れたので、博士論文の研究に取り組みながら、精神科クリニックのカウンセラー、小中高校のスクールカウンセラーなどもやっていました。それぞれ週一くらいで、非常勤の研修生のような立場です。それから、企業向けのメンタルヘルス対応の外注先をEAP(Employee Assistance Program)と呼ぶのですが、EAP企業の受付業務のインターンもやりました。心理の分野の医療、教育、そして産業のそれぞれを体験してみた形になります。ずっと産業、働く人のメンタルヘルスがやりたいと思っていたけれど、本当にそれでいいのかなって。私はやってみないと分からないタイプなので、全部体験してみたことで、自分が本当にやりたいことはやっぱりこれだ! と明確になりました。
大学院在籍中にもう一つ、現在に繋がる重要な出会いがありました。
確か博士課程の一年目の秋ごろだったのですが、 アルバイト募集の張り紙があちこちにあって、気になるものを見つけたんです。理化学研究所筑波事業所の健康管理室でのカウンセラーの募集でした。見た瞬間「絶対ここで働きたい!」と思い、すぐメールして、すぐ面接を受けました。
EAP企業のインターンは、結局のところ受付業務だけでしたから、やりたかった産業の領域での実務経験を積めることが何より魅力でした。無事面接も通って、理化学研究所の健康管理室に勤務し始めた頃が、博士論文を書いていた時期だったと思います。
博士論文執筆はなかなか大変でした。筑波大学大学院では博士論文の基準が厳しくて、「査読つき」という、研究者による評価やレビューが付いた論文を外部の学術雑誌に二本提出していないと、博士論文の受付自体をしてくれないんです。査読付き二本の事前提出はかなり大変です。なので、 大学院では博士課程に四~五年かけ、修士課程と併せると六~七年在籍する方が割と多いのですが、私の指導教官が、博士三年修了と同時に退官することが決まっていました。もし三年で卒業しなかったら、担当が別の先生に変わってしまいます。どうしても指導教官に博士論文を見て頂きたくて、必死に書き上げました。途中、もう間に合わないかもしれないと追い詰められて……あの頃は、私の人生で最大にメンタルが落ち込んだ時期だったと思います。
博士論文や非常勤勤務と並行しつつ就職活動をしていたのですが、ありがたいことに二つ声をかけていただきました。一つは、先ほどの理化学研究所筑波事業所の産業医をしていた教授から、特任研究員、いわゆるポスドクでよければうちの研究室に来ないか、と声をかけて頂きました。
今までは心理の分野でしたが、その方は医学部の教授でいらしたので、医学領域に携わるということになります。違う分野に移動することになるので、心理学の分野に戻れるのか、アカデミックの世界での研究者としての私のポジションはどうなるのか、など、難しい要素もありますが、念願の職場のメンタルヘルスに携わることはできるので、魅力を感じました。
一方で筑波大学の指導教官からも就職先の紹介をいただいて、こちらはこのままいけば、心理学のアカデミックの世界で、キャリアを積んでいけるルートが拓けるものでした。私が指導教官からの紹介をいただいたのは、なんとスキー旅行に来ていた時にかかってきた電話なので、とても驚きました。しかも、明日までに決めてくれ、なんて言われてしまって。もう楽しくスキーどころではなくなって、「辞退します」とメールした十分後に、「もう少し考えさせてください」と追加で送ったりして、とても気持ちが揺れ動きました。もしここで辞退すれば、明日か明後日には別の人にオファーが行って、その人が受けてしまえば、もう私が受けることはできなくなってしまいますから。アカデミックの世界のポスト求人って本当に急で、タイミングが命だなと思います。
最終的には、特任研究員となって、心理学ではなく医学部の研究室に就職して職場のメンタルヘルスに関わる道を選びました。もう直感ですね。アカデミックの世界でポジションがあやふやになってしまったとしても、こっちの方がワクワクできるなと思ったんです。当時を振り返っても、あちらにしておけば、と後悔したことは一度もないので、この直感は当たっていたと思います。