カウンセラーになるまで
多くの傾聴カウンセラーを育て、産業カウンセラー、キャリアコンサルタントとしても実力も経験も豊富に兼ね備えている辰さんですが、カウンセラーになろうというところからのスタートではありませんでした。
最初の就職は離婚した時に。勤めた先は、残業が多い会社でした。やはり子どもが3人、いちばん下の子が4歳だったので、定時に帰れないというのが私の大きな罪悪感をかかえるところになってしまった。これは無理だな、と思って会社を辞めようと思っている、と相談した時にお客様だった会社の方が、うちで経理をやってくれないかと言ってくれました。17時に帰れるからと言ってもらって、そこで働きだしたんです。
そこで働いているときには私の資格にはまだカウンセラーはなくて、その会社で働きながら産業カウンセラーの資格を取ったり、学校に通ったりしました。
立場としては事務員だったのですが、会社の上司が私の勉強していることに興味を持ってくださったんですね。その方自身も経営の立場から、もともと心理学的なことに興味があったのだと思います。どこの会社でもそうですが、その会社でも課題はいろいろあって、私が勉強していることや、資格の内容の話にも耳を傾けてくださった。
「働く人のモチベーションをあげるためにもすごく大事です」と話したら、では会社内の人の話を順番に聴いたらいいのではないか、という話になって、社員の話を聴いたりしていました。
その後、部署を異動したりしながらその業務も拡がっていって、地方の関連する会社にも話をしたり、聴きに行ったりするようになります。そしてまた、勉強しながら必要な資格も得ながら、キャリアコンサルタント的な業務を重ねて来ました。
当時から私は、産業カウンセラーやキャリアコンサルタントとして働くつもりはなくて、会社が良くなればいいな、と思っていたくらいでした。でも、最初の会社からチャンスをもらった形になり、結果的に臨床経験をたくさん積むことができました。
当時は正社員だったのですが、自分で勉強をしていく中で、傾聴を世の中に広めたいという気持ちが強くなってきていました。でも、傾聴を広げる活動をしたくても、正社員での勤務では時間的に制約がある。地方に行く仕事も月に何回かあるような状態だったので、不自由で仕方なかった。そこで、会社にお願いして契約社員にしてもらったのです。そうしたら、他の会社さんからも呼ばれるようになって、何社か回るようになりました。
その後もメインの仕事は、会社の中の働いている方のメンタルヘルスに関する相談が主な業務です。休みがちな人や、産休を取ってから戻ってこられない人たちが快適に過ごせるように調整をする係。
ラインのケアと言って、上層部にメンタルケアの重要性や、ちゃんと考えないとそれが原因で本当に会社がつぶれることもあるんですよ、ということを伝える教育係もしていました。言ってみれば会社と働く人の間ですね。