気が付いたのは「人と会って何かを作る」のが「楽しい」ということ
地域での活動を仕事にも活かせる、地域活動を支援することを学べる、ちょうどよいお仕事を幸運にも見つけたようにも見える今回のたなかさん転職ですが、転職までには様々な葛藤もありました。その葛藤が『らふproject』への扉も開きます。
ほとんどテレビ業界で仕事をしてきて、前職は8年くらい、民放局のテレビドラマのサイトを担当していました。それはとても楽しくて。取材などで現場に行くことも多いので、朝早かったり夜通しだったり大変なことも多かったのですが、そこで気が付いたのは、「人と会うのが好きなんだな」ということ。人と会って何かを作るのが好きなのだ、と気が付きました。結婚して出産まで、その仕事をしていました。
復職しても私は以前と同じように仕事をしたかったのですが、部署内で育休復帰は初めて。上司も私もどうしたらいいのかわからない状態で。時短も取っていたので「できる範囲でムリなくよろしく」という感じで、ディレクションをするというよりもひたすら更新作業をしたりといった環境になりました。それはそれで大事な仕事でしたが、何か違うな…と感じてしまっていて。
子どもが成長すればまた以前のようにできるかも、という気持ちもありましたが、復帰当時はもうらふprojectも始めていたし、違う働き方もあるかもしれない、ということはすでに考えていたんです。悶々としているのももったいない、とも思っていました。
子どもを産んでも働くと決意していたのも、やっぱり楽しく働いている姿を子どもに見てほしかった、というのがあったのです。楽しくないと思っていることは、子どもにきっと伝わるし、夫に愚痴ばっかり言ってるのもよくないな、と思って転職しようと決めました。
実は子どもを産んで半年くらいはすごくつらかったんです。育児ノイローゼ気味だったのかもしれません。なんでこんなに辛いんだろう、と思って。話す人は家に帰ってくる夫だけ。横でギャーギャー泣いているこの子は誰?というような感じになってしまって。
そろそろ外に出ないといけないかもしれないと思い出して、児童館や子育てひろばなどにも行ってみたのですが、なにか自分が求めるものとは違うな、と思っていたんですよね。
その矢先に、知り合いに誘われてママボノ(注)に参加したのです。そこで、一緒のチームになった方に、ワーキングマザーの会やコーチングのことなどを教えてもらったことが、きっかけとしては大きかったと思います。
その方が「ないなら自分で作っちゃえばいいじゃん。私もそうするんだ」って言っていて。「ないなら作る」って!そういう発想もあるんだなぁと思って。とても衝撃でした!
一時期イベントもたくさん行ってみたけれど、継続的に通いたいというのがなかったかもしれない。それに、教わって、いい話聞いたなー、で終わるのが物足りない、というのもある。本当にみんなすごいことやっているのですよ。だからこそ、そこに通う生徒でいいのかっていうのがあったかもしれない。
今も自分でいろいろ参加しますけれど、でもね、会社で楽しくやっていた仕事と重なりますが、結局は「楽しい」を自分で作りたいんでしょうね。ずっと温めてきた『らふproject』は、自分のためにも形にしなきゃいけないな、と思いました。
(注:NPO法人サービスグランドが展開するボランティアプログラム。https://www.servicegrant.or.jp/program/mamabono.php)