圧倒的に成長するための就職から人事に出会うまで
大学のみんなには現場を頼む!私は世の中に出てみんなと経済をつなげる方法を考える!元来体育会系、とおっしゃる平野さん。演劇ばかりやっていたから経済や商業を学んだ学生より4年ビハインド、とにかく圧倒的に成長したい!と就職先の選び方も平野流理論がありました。
最初に就職したのは、企業の経営者や人事部門の方と採用や社内研修などの人事活動をコンサルティングして一緒に作っていく外部パートナー会社でした。
この会社を選んだ理由は、経営者の方と仕事をするということや、1年目から1億近い売り上げ目標を持たなければいけないことが想像もできなくて、総じて圧倒的に成長できる環境であろうということ、最後にはここで働きたいという「ときめき」でした。
入社2年目にリーマンショックが起きました。人材業界は大打撃。景気が傾くほど契約を取れという圧が強くなり、心身ともに元気がなくなっていく中で、志した文化芸術とは程遠いし、なんのために取る契約なのか、これがお客様や世の中の幸せにつながるのかわからなくなっていました。そのタイミングで、雇用調整のための退社勧告があり、辞めることになりました。
仕事はすごくやりがいがあったし、友達にメールも返せないくらいプライベートなく働いて、仕事のことばかり考えていました。今その部分だけを学生に話すと「ブラックだ」と言われてしまうのですが、私にとってはやりたいだけやらせてもらえて幸せでした。
かっこいいな、ああなりたいな、と思う先輩方はもっと働いて、本を読んで勉強していたし、私もあんなふうになりたいと思って無我夢中で「自主トレ」するような日々だったのです。大学で演劇ばかりの日々だった私が3年で「仕事って本当に楽しい」と思えるようになったのは、あのひたすら仕事していた時があるからだと思っています。
でもやっぱり、疲労って、思考を止めさせるんですよ。売り上げとお客様へのホスピタリティの両立というのは、20代前半の私の力量では、納得いくまではやりきれなかった。それに、疲れている人達が集まると、お互いの大切なものを大切にし合うことが難しい。優しくない人が増える。そういうことも含めて、ちょっとずつ傷ついてもいたと思います。
その後企業メセナ協議会でインターンをしながら、個人事業主として1年くらい前社でクライアントだった化粧品メーカーの経営者に声をかけていただき、採用と教育の支援をしていました。
その時に初めて、社内から人事として関わることになったのですが、それがめちゃくちゃ面白くて。こんなに夢中になれる仕事があるのだ、と。
自分にとって大事なのは夢中になって取り組むことや人の心が動く瞬間を見る喜びで、それが演劇や表現だと思っていたので、文化政策系の仕事に就きたいと思っていました。でも、人事の仕事にそれを見出せるぞ、ということに気が付いたのです。新しい夢を見つけた、人事のプロになろう、と。
そこで10歳から思い続けてきた演劇への夢に決着をつけました。そしてお願いして正式に入社させていただき、社長、副社長の下でたった一人の人事としてスタートしました。
夢は変わりましたが、変わらないのは「一人ひとりが自分の心の真ん中を生きる」ということ。「自分を表現しながら人と繋がり世界に平和な心地を見出して生きていく」こと。私はそれを企業の中で人の心に関わる仕事からやる、そのプロになる、と思ったのが、社会人3年目で26歳くらいの時。26歳から35歳まで9年間、この9年はずっとずっと夢中になって人事を、人事のことをずっと考えてきました。