結婚・出産は予定外ではありました。再就職をすぐに決めたのは、家計の事情が大きな理由だったのですが、自分のキャリアがたったの1年で途絶えてしまっていたので、働かなければいけないかな、という気持ちもありました。当時はがつがつ働く気もなかったし、キャリアウーマンになろうとも思っていなかったですね。
でも再就職した会社が産業保健の分野に長けている会社で、様々なことを経験して学ばせてもらえました。特に関連会社に出向した時は、人事に近い部分での業務があって、会社の利益にも寄与しなければならないし、社員からも有益に思われなければならない、中立の立場である必要があって。さらに当時の上司が「保健師であるけれども労務も」という考えの方で、たくさんのことを教えていただけたんです。今の自分の『保健師という仕事に特化しないで労務管理的な視点も必要』という考え方に繋がっていると思っています。
今持っている心理系の資格についても、その会社で産業カウンセラーの資格を取ったらどうか、と提案されたのがはじめです。小さな子どもを抱えて夜学で半年間、できるかな?と思いながらそれを達成したことは、今思えばとても自信になっていると思います。子どもを持ってもキャリアをあきらめずこうしてステップアップもしていける、という自信ですね。その後、心理系の資格を増やしていきました。
その会社で8年働き、その間に2度、最後は双子の出産を経験。次のステップを目指して再就職後1回目の転職。同じく大手のメーカでしたが、そこは以前の会社に比べ産業保健分野が創成期であり、経験を活かしてお仕事をされ、最終的には管理職に抜擢されます。管理職になりながら、3年で現在の会社への転職するまでに、どんな選択があったのでしょうか。
いろんなことを学ばせていただけたし、幅広く楽しく仕事ができて申し分なかったです。転職した時も、保健師としての労務的な制度アップの会社への提案も準備中だったんですよ。定期的な地方出張もありましたが、やりたいことだったので全く苦ではありませんでした。ただ、管理職になってからは、通常業務と管理業務をどちらもやらなければならない、それに加えてもちろん育児もあり、大変だな、キャパオーバーかな、と思ったこともありました。
でも直接のきっかけになったのは自宅と会社の距離だったと思います。まだ下の双子が保育園に通っていて、呼び出しがあっても飛んで帰れない。連絡をもらっても帰るのに1時間半以上かかる、というのは厳しかったのですね。
前職の会社ではテレワークといった働き方も広がってはいたんです。でも私の業務内容上、個人情報を扱うのでそれは難しかった。近くでいいところがあれば、ということは、ずっと頭にあったと思います。
逆に都心に近づくことも考えたのですが、もう子どもたちの生活も確立しているし、私も地元でのつながりができていたので、それは選びませんでした。
そしてこれもたまたま、家から自転車で通える今の仕事先を見つけて。一応受けてみよう、落ちたら落ちたでいいや、という感じでした。ご縁があって採用されて、転職という感じです。
正直、この転職でいったんキャリアはダウンなんですよ。現在の会社は産業保健の分野も充実していて、若い人が多かった前職に比べて、50代のワーキングマザーもバリバリ活躍されています。少し時間がかかるとは思いますが、やるべきことをやってまた上り詰めればいいかな、と思っています。
子どもも4人いるので家計的にも私が仕事を辞めるという選択はないですね。特に3番目が双子だったときは、これは絶対辞められないな、と。忘れもしませんが、妊婦検診の一回目に先生に「双子ですよ」と言われたときはうれしいというよりも不安のほうが先行しました。
今でこそ、フリーランスをはじめいろいろな働き方をしている保健師さんもたくさんいますが、私の場合は、子どもがいても双子がいても企業の中でここまでできるよ、と伝えていきたいという気持ちもあります。
私のモットーとして「やるからには楽しくやる」というのがあって、資格取得や仕事の展開なども積極的なように見えるのかもしれませんね。
栗田さんの口からは「たまたま」という言葉がたくさん出てきます。「この仕事に是が非でも!」というような強い印象はあまり見られません。キャリアも実績も相当に積んでいらっしゃるにも関わらず、家庭や子育て、自分の人生、という部分に常に冷静に軸足を置かれている姿勢はどこから来るのでしょうか。