お世話焼の少女時代、ロールモデルを探したワーママ時代、私だからできること

 

保健師としてのキャリア1年で結婚・出産を経験されている栗田さんは、社会人としての人生のほとんどが、ワーキングマザーだったことになります。

 私は専業主婦の母に育てられていて、父親もいわゆる民間企業のサラリーマンではなかったので、共働きやワーキングマザーについてのイメージが描けなかった。予定外の早い結婚・出産でもあり、朝早くからフルタイム勤務で、保育園や勤め先でも「こんな小さい子どもを抱えてまで」ということを言われたこともありました。朝早く、人通りのまばらな道をベビーカーを押して歩きながら、自分は何をしているんだろう?と思ったこともゼロではなかったです。

 長女が生まれた1、2年は思えば不安もあり、しんどい時期でした。子育てをしながら働きながら、というロールモデルがいなかったので、そのイメージをつかみたくて雑誌やネットで調べたり、アンテナをすごく立てていたと思います。実家が遠方で頼れなかったこともあり、そういう自分の状況に合うものを確立していければいのかなぁと、模索していった感じです。

 最初の頃は、何でもさぼらずにこなす母の影響で、何でも自分で抱え込んでやらなければ、と思っていた時期もあります。でもふと、これは違うかな?と思ったタイミングがあって。時短であっても育休中であっても、同じく会社に勤務しているのだからワンオペになる必要はないのではないかと。全部を一人で抱え込んで全力で頑張る必要はないと思ったんですね。その時に分担についても夫と話し合いました。今は私の職場が近くなったので、すこし余裕もできましたが、そのまま朝の保育園送り業務は夫の担当です。

それでも4人の小さなお子さんの子育てと専門的な仕事の両立は、想像を絶するものがあります。もともとはお医者さんになるのが小さなことからの夢だった栗田さん。仕事に関する選択の中にも「世話焼き」で誰かの役に立ちたいという思いが見え隠れします。

 小さいころから世話焼き。クラスではクラス委員で、パーフェクトな自分を目指していたところがあります。
高校生の時に勉強でつまずいて、学校の先生に「勉強ができなくてすみません」と言ったことがあるんです。その時もクラス委員だったですが、クラス委員なのに勉強できなくて、こんなふうでいいのかなぁと悩んでいた時期だったんですね。そうしたら先生が「あなただからできることがあるんじゃないの?」といってくださったんです。その時は漠然と受け止めていましたが、その後折々でその言葉が心にあるような気がしています。

たくさんの子どもたちやお母さんたちと。
転んでけがをした子どもの手当てをする姿も。

 

 もともとの世話焼きの素地が、今の保健管理だけでなく労務や人事制度にも展開できる産業保健師、という職にあっているのかもしれないですね。今はキャリアの悩みからメンタル不全に陥るケースも多いので、労務と健康管理の両側の視点がますますこれから重要になってくると思います。
保健師だから保健師の業務に特化したいという方もいますが、私は今までの仕事で人事や労務的なことに従事する機会があったこともあり、幅広い視点で進めていけるようになりたいと思っています。

 そんな風で世話を焼くのは得意なので、子育てや家のことは苦になりません。家事が苦手、という方もいるけど、私は時間が許す限り動くのは嫌いじゃない。常に動いている母を見ているからだと思いますけれど。でも共働きしてみて、ある程度は寝ないといけないな、というようなことは自分で実感していて意識しています。

忙しい中にもしっかりと時間をコントロールして着実にステップアップしている様子がうかがえます。忙しい合間を縫ってワーキングマザー向けサロンを開催したり、地域活動に参加したりしているそうです。3番目の双子のお子さんが来年小学生に上がられ、ひと段落しそう、ということで、その後の野望についてお聞きしました。

 

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