未来へつなぐ、働き方
~次の世代のために私だからできること~
第1回目は保健師の栗田亜紀子さん。
長年、企業内で働く産業保健師として従事され、社員の健康管理をはじめ、企業での保健管理の在り方や制度アップの提案も行ってきました。
保健師の業務に活かすためにキャリアコンサルタントや産業カウンセラー等、心理系の資格も多く取得し、保健管理に特化しない労務に直結した保健管理を目指して活躍されています。
2018年4月に、ご自宅からほど近い調布市の大手保険会社へ転職。
プライベートでは双子ちゃんを含む4人のお子さんのお母さんです。
栗田さんに、企業に勤める産業保健師としてのお仕事の今までと今、そしてこれからの夢をお聞きしました。
貫く頑固さと「たまたま」を「やるからには楽しむ」しなやかさ
看護系の大学卒業とともに産業保健師として就職をした栗田さん。一般的には看護師としてのキャリアを経て保健師になる、という通例を飛び越えて、ダイレクトに保健師の世界に飛び込みます。
もともとは医療系を目指していたのですが、通っていた高校が超進学校で、成績が思うように振るわず理想通りに進めなかったんです。その時は少し挫折感も味わいながら、法科やほかの分野への方向転換も考えましたが、文系の試験で受けられる看護系の大学があることをたまたま知って、そちらに進むことにしました。
大学に入った時点では看護師になろうと思っていました。大学では保健師の資格も取る必要があって、保健師資格に絡む実習を受ける中で、いわゆる地域で訪問看護に帯同するような経験をして、自分には病院の臨床よりもこちらのほうが合っているのではないかと考え始めました。病院と違って『予防』が主になるので、指導教育をしたりといった仕事です。そういうほうが向いているかな、と思ったのが保健師を目指したきっかけです。
大学の先生には、やはり当時は臨床経験を経ずに保健師になる道が主流ではなかったので反対もされましたが、「私は保健師になります!」と突き通して。自分がこうと決めたら突き通す、という頑固さは、あるのかもしれないです。
卒業後は国会図書館に勤めました。職員の保健管理の仕事です。そこが産業保健師としてのスタートでした。当時、国会図書館では産業保健の分野を始めようとしていたタイミングで、若い自分も受け入れられやすかったのだと思います。
もともと地域保健を目指していた部分があったので、いくつか役所のような公的なところにも就職活動をしましたが、やはり間口が狭くて。そういうわけでたまたま産業保健の道に足を踏み入れた形になりました。
大学で本格的に出会った保健師という仕事。意志を貫いてその職種を得ましたが、1年で結婚、出産という転機を迎えます。いったんキャリアを中断しますが、小さなお子さんを抱えすぐに就職活動を開始。民間の大手印刷複合機メーカに再就職を果たします。