肩書のない、何者でもない自分で立つスタート

自分の「楽しい」を羅針盤に着実に進まれているような印象もありますが、逆に「目標やゴールがあるのは苦手」なのだそうです。世間的には年末にその年を表す漢字一字を出しますが、たなかさん流はこれからの「一字」。目標を持たないたなかさんの今年の漢字一字も見せてもらいました。

小さい頃から「何者でもない」ことが悩みだったんです。
周りは「〇〇になりたい!」だからこういう学校に行って、こういうことを学んで、と進んでいくのに、私には「なりたいもの」がない、ということが引っかかっていたと思います。
今もワークショップを企画して、これは誰向けの企画か、を考えることはできるのですが、「自分はこうです!」「こうなりたいです!」ということができない。目標も、可能性を狭めてしまうようであえてくっきりと立てないほうが好きなんです。

自分にはそういう意味でスペシャリティとして提供できるものがないな、と悩んでいる時に、ある人から「何者でもない強みもある」と言われました。そうか、確かに、今まで何かにならなくては何もできないと思っていたけど、そうでもないのかもしれないと。
そんな時に世田谷で15年子育て支援をなさっている方に声かけてもらって、支援団体を次世代につなげていくためのアイデア出しを一緒にやってほしいというオファーがあったんです。その方にも偶然に、なにかの先生だったり専門家だったりということを押し出していない人だから、ということも私に声をかけてくださった理由の一つと言われました。
去年秋に立ち上げた「せたがや未来会議」というプロジェクトでも、行政のほうからの参加者もたくさんいるのですが、こういうのを取りまとめてくれる人が、しかも行政主体じゃなく個人としてつなげられる人がずっとほしかった、と言ってもらったり。
今までは肩書がないことがコンプレックスに感じるときもあったのですが、やっと最近になって、肩書がないのもいいかな、と気が付けた気がします。

出産までの馬車馬のように働いていた時も楽しかったです。大変さも含めて楽しかった。その後に葛藤もあって、考え方が広がって、それも含めて今現在地は「スタート地点」だという気がしているんです。「肩書無しの自分」が完成したような。
それでもいいんだよ、と言ってくれる人が周りに増えたのも大きな収穫でした。会社の中だけに居たら、そういうことって話しあう機会もなかなかない。

ずっと前から「楽しいは正義だ!」と思ってきて、これからも自分が思う「楽しい」を探していきたいと思っています。目標はあえて持たないけれど、楽しいだけは目指していく。
楽しくないことをやる必要ももちろんあるけれど、その時のクオリティの差って明らかに出るのですよね。それは考え方でもあって、辛かったり一見楽しくないようなことの中にも「楽しさ」を見いだせたものにはクオリティ高い結果が出せる。

ただ、子育てでもそうだけど、今の自分の物差しや世の中の常識で、力量を判断してこれならできる、これが好きそう、と与えるものを選びがちだけれど、一方で常にそれが可能性を狭めてしまうことにならないように、というのは思っています。
それは自分に対してもそうで、今まで敬遠していたことやできないと思っていたことも、今年はとりあえず受けてみようと決めたんですよ。

今年の自分を表す漢字は「実」。実体験を元に実証実験を誠実にひとつひとつ積み上げながら「実り」ある1年にしていきたいです。

 

「地方創生もなんでも、課題解決に対応しているのではなく、自分事として感じないと、人に熱を伝えたり、行動を起こすこともできない。」とおっしゃるたなかさん。自分でやることにこだわり、自分の感覚や納得できるかどうかに常に丁寧に向き合っていらっしゃいました。
会社の中で楽しかった仕事が、会社でできなくなったらどうしようか、という問題は、普遍的な課題ではないかとも思います。たなかさんは外に出る選択をなさいましたが、こういう選択事例から、会社としての在り方も考えることができると感じることができました。
たなかさん、貴重なお話を、ありがとうございました!

 

 


たなかさんに聞いた 10年後、20年後のセルフイメージ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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