考えて、自問して、納得する

「今の会社でやりたいことを達成しているかと言えば半分YESで半分NO。今は矛盾を味わい必要な泥をかぶれるかという修行のステージ。」とおっしゃる平野さん。常にロジカルで迷わず決断をされてきたように感じますが・・・。

ロジカルって言われるのですが、出発は全然ロジカルじゃないです。答えのない心に湧き上がる問いや喜び、悲しみや疑問。形がなさ過ぎて不安なんですよ。沸き出したものがなぜなのか、これはこうだから私はすごくうれしいのだ、悲しいのだということを整理して、すっきりしたい。エネルギー量がある分、理屈が必要でした。その自分の中に湧き上がる情動を穏やかにするためには理由が必要で、その理由をいつもいつも探しています。だから考えること、自問すること、が習慣になって、結果的にロジカルになった。もともとは収まりきらない情動だと思うのです。

迷わず決められる人は自分を知っている人で、自問自答の数が決断の速さと比例していると思います。それは例えば食事でも同じで、迷う人って、何となく食べている。出されたものを考えずに食べていると、自分の食べたい感覚がわからなくなってしまう。逆に言うと、日ごろから何を食べたいか自問して、食べたいものを選んでいれば、感覚って失われないと思うんですね。そのためには、空腹を味わうことや、食べたくないものを食べない勇気も必要です。

私はその、自分の感覚を失うことが怖いです。自分の中の感じていることに忠実でありたいのです。ちょっとした「まあいいか」という積み重ねで、「75点でもいいか」の生活を続けていたら、「そこそこ」の人生になる。問題は、自分にとっての100点がわからなくなることです。そうなると100点取れなくなる。だから、大切な人を大切にできなかったり、好きな人に好きって言えなかったり、悪口を言いながら仕事をしたり。自分が何を求めているかを知らないから、自分で本当に選びたいものを選べなくなることもあるのだと思います。

ただそれは、怠けているとかズルイとかでもなく、「仕事」というのは往々に人をそうさせやすいもの。なぜかというと役割があるからです。上司として、マネージャーとして、女性として、チームの一員としてという役割を、社会だから演じなければいけないことはあるし、それと自分が自分であるということの両立は、構造的にすごく難しいものだと思っています。そもそも「仕事」は「相手(お客様)」があって成立するもので、エネルギーが外に向かっていくもの。利他性のエネルギー。それをやりすぎ、楽しめなくなると、崩れるバランスもある。

でも必要なタイミングというのがあって、その人にとって5年間くらい自分を失った時間があったとしてもその5年間が育てるものもある。だから私は必ずしも「いつも本音で生きなよ」とは言いません。その人にとって必要なことはその人が知っているから。誰かを傷つけたり、自分を失ったとしても、手に入れたいものがあるのだったら甘んじて、75点の苦しみを味わえばいいと思う。それも必要なことだから。

私自身、今の会社を選んだのも自己実現のためだけではなく、恥ずかしながらそういう側面もあるけれど、自分の本音やこうあってほしいということを捨て置いたとしても、正しく、事業がお客様にとって価値あるものになっていくために、役割を演じられるかという成長課題があるからです。経済も組織も矛盾だらけだけど、納得ができるかどうかが、本当に大事なことなのだと思います。

18歳の時に「何のために生きるか」への問いは「どう生きるか」という「問い」だとわかったそうです。生まれた命を自分だけでなく、誰かや、何かや、未来のために使いたい。その気持ちが、平野さんの仕事人生を支えています。経歴やお持ちの哲学からは間違いなく優秀なビジネスマンですが、幸福を追求する、自分を掘り下げて鍛えて鍛えて納得していくことをただ求めていく、求道者の様にも思えました。
ワークライフバランスは、ワークとライフを区別することではないのだなぁ、働いていることは生きていることの中にあることなのだ、働くことも生きることも、自分で決めて納得して進んでいきたいと、改めて思いなおすことができました。素敵なお話をありがとうございました。

 


平野さんに聞いた 10年後、20年後のセルフイメージ

 

 

 

 

 

 

 

 

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