居場所を作る人の「居させてもらえる」想い
~動く気持ちを拾いながら見えない到達点へ~
加藤雅江さん
杏林大学医学部付属病院 ソーシャルワーカー
NPO法人 居場所作りプロジェクトだんだん・ばぁ 代表
杏林大学医学部付属病院にて28年間ソーシャルワーカーとして勤務し、現在も同病院の救命救急センターで患者の心のケアを中心に行っている。大学病院内で長年にわたり、虐待防止委員を務め、日本に先駆けて病院での対応フローやマニュアル作りに参画。
一方で、地域の中に居場所を作る活動をはじめ、NPO法人を設立。地域の子どもたちに月に2回居場所と時間、夕食を提供する「だんだん・ばぁ」と、月に1回学習支援をする「だんだん・らぼ」を地域・病院・行政と幅広いフィールドからのボランティアの皆さんと定期開催している。
ソーシャルワーカーとしての仕事から病院の外の「居場所」づくりへ
救急救命センターのソーシャルワーカーとしてNHK番組に取り上げられたり、講演も数多く行い、地域や精神福祉の世界では実力・知名度も高く、信頼の厚い加藤さん。3年前から病院の中にとどまらず、地域での活動も精力的に行っていらっしゃいます。まずは病院でのお仕事についてお聞きしました。
ソーシャルワーカーには医療ソーシャルワーカーと精神科ソーシャルワーカーとがあり、大学病院では兼務でやっていくのが基本ですが、私の立場としては救急救命センターで自殺未遂の人の支援とか暴力被害者への精神的な部分の支援の仕事が主になっています。
ソーシャルワーカーになったのは、小学生の時に「翼は心につけて」という映画を観たのがきっかけでした。骨肉腫で亡くなる女の子の話で、その子がソーシャルワーカーを目指していたんですね。それで「後は私がやるから大丈夫」となんとなく思って。
その後三鷹高校に入学して、隣にあった杏林大学付属病院に行って当時いらしたソーシャルワーカーの方に「どうしたらなれますか」と聞いて。教えてもらった通り大学で勉強して卒業して、またここにきて今度は「働かせてください」と言って就職したんです。
高校の時話を聞いてくれたソーシャルワーカーの方がまだいらしたけれど、でももうすぐ定年も控えていて、というタイミングでした。一人の職場はいやだな、キャリアのある方に教えてもらいたいな、と思っていたのでいい環境でした。
杏林大学付属病院に入って28年。当時は2人だったのが今スタッフは13人です。都内でも多い方ですね。増員は積極的にアピールしたというよりも、時代や制度的な必要人数もあるし、周りの方が見ていて理解してくれた部分も多かったです。
最初の同僚は大学の先生になりましたが、私は現場が好きなんだと思う。現状でも講義の仕事もあるし、そこでも現場で感じていることを話すことが大事なことだと思っているので、逆に現場を離れたら話すことができなくなるかもしれないとも思います。
現場の仕事と並行して、平成11年8月に杏林大学内で全国に先駆けて虐待防止委員会ができて、ずっと副委員長をさせていただいています。その頃は「子ども虐待」自体もまだ一般的でない時期だったので、院内のマニュアルやフローづくりなどを行いました。そういった活動がほかの大学や医療機関にも広がっていますが、その時私たちが作ったルールを基本にしているのが現状です。