長年にわたり病院の中で患者さんに向き合ってきて、家に帰って涙したり、この子を引き取って育てられたら、と思わずにはいられないようなケースを目の当たりにする中で、「病院の中だけではだめなのではないか」という思いが芽生えてきます。

救急に運ばれてくる自殺未遂の人たちなどは、子ども時代の被虐経験のある方たちが多いのです。業務の中で、子ども時代子どもらしく過ごせる環境を整えてあげないと、大人になって苦労するのではないかというのが見えてきていて。それを病院の中だけでやっていても仕方ないってちょっと思っちゃったんですね。
同じくらいの時期に息子のお友達が自殺してしまった。仕事として「自殺未遂者支援」をやっているにもかかわらず、何にも見えなかった、彼がそんなに苦しんでいたのがわからなかった、というのがあって。子どもたちって苦しい思いをこんな風に出すのだなって、生身の人間がもう少し受けてあげられる体制にしないとダメなんじゃないかと思ったんです。

救命救急センターは24時間電気がついているから逃げてきていいよっていうような取り組みも行う中で、地域の中で一つ居場所を作りたいな、というのが、個人的に地域で活動を始めるきっかけではあります。
最初はコンビニやろうと思ったり。そういう子たちが24時間たまれるコンビニをね。でもそれは仕事との両立は無理だろうな、とか、一つ携帯電話を開放してSOS電話にしたらどうかとか。
そんなことは、妄想めいたことだけれど、それこそ15、6年、折に触れて人には話してきました。でも、いまいち現実味が伴わなかったんですね。

たまたま3年くらい前に「子ども食堂」がブームになってきていた時期で、今はNPOで副代表をしている浦さんがそれをやりたいと言って講座に参加したりしていた。
彼女は食育的な観点から、子どもたちの食生活を気にしていて、そのための「子ども食堂」だったんですね。その話を聞いて、一緒にやれるかな、やってみようかって。
そしたら浦さんが「じゃあ、来週やろう」っていうんですよ。「え?場所はどうするの?」って。(笑)そこから三鷹の社協や市役所の方にも協力してもらって場所を探しました。


NPO法人『だんだん・ばぁ』の副代表の浦さんと加藤さんは、お子さん同士が学校で一緒だったというママ友さん同士。今もその時のお仲間が多くボランティアスタッフとして参加されています。
そのほか、病院関係者や行政の方など、様々なバックヤードを持つ人が集まる中で、『だんだん・ばぁ』はどのような場所なのでしょうか。

初回は宣伝もあまりしていなかったのに最初から50人くらい子どもたちが来ていてくれて、今は60人から70人くらいの子が集まっています。
だいたい同じ子たちが来ているけれど、誰一人として支援を必要としているとは思っていないし、私たちもそうは思っていない。逆に、なんでこの子は毎回来るのかな、と思うこともあるけれど、きっと学校や家とは違う、そんな居場所を気に入ってくれているのかな。

『だんだん・ばぁ』にはルールがないんです。役割もマニュアルもない。誰にも強制されないし、来ることも来る意味も自分で決めていると思っています。それは、大人も子どもも。そういうところが一つあってもいいのかなって思っています。

学生スタッフなども来るのですが、役割を与えられないと動けない人にはつらい場所だと思います。「何すればいいですか」と聞かれても、「自分で考えてね」と。それは病院の仕事でも同じですね。
逆に、他のスタッフを見ていて、「この人はこんな対処の仕方をするんだ」と、私にとっては学びの場です。それぞれの違いみたいなものを子どもたちも本当によく見ている。子どもたちにとっては、いろんな大人を見られる場所だとも思います。

よくよく聞くと何か不安があったり、嫌なことがあったり、子どもから聞くことはありますよ。場合によっては、親御さんに連絡して今日ちょっと不安だったみたいだから話聞いてもらっていいですか、という連絡をすることもあります。子どもにも、心配や不安は言葉で言わないと通じないんだよって話します。

やるにあたっては常に、何かあったらいけないとは、思っています。枕元に携帯電話を置いて寝ているし、開催の翌日は救急外来のリストをチェックしてホッとしていることもあります。
でも何かあって失敗したらどうにもならないという世の中はおかしいと思うんです。失敗してもやり直せなくちゃいけないし、失敗することを恐れて動けなくなるのもいけない。失敗があってもうまく収めているよねっていうのを子どもたちには見せたいと思っているんです。何かあっちゃいけないんだけど、何かあったときはその対処の仕方をみんなに見せるしかないんだろうな、と思っていますね。

 

 

 

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