自分がすべき役割と天命を求め続けていた
ご自身の役割をずっと意識していた、とインタビューの端々で仰る山岡さん。人生観ともいえる価値観と現在の心境を、細かに語って下さいました。
ターニングポイントと言えるのは、やはりTスーパーを退職した時でしょうか。長く務めた企業でしたし、辞める時に過去はすべて捨てようと決心して辞めたのを覚えています。この頃を機に年賀状のやり取りも辞めました。大学に行って、地元に帰って仕事をするという流れの終着点のような認識でした。Tスーパーを退職する少し前に実の父が亡くなったことも影響しているかと思います。その時心に浮かんだのは、徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という言葉でした。私にとって、重荷と言う表現とは違いますが、長男としての役割が自分の荷物なんだ、という感覚でした。その後母が亡くなった時もターニングポイントだったと思います。
私は遅くに生まれた子供でしたので、周囲の同級生に比べて、親が一回りほど年上なんですね。父も遅く生まれた子供なので祖父母は明治生まれで、日清・日露戦争に従軍したような世代でした。価値観としては団塊世代あたりの方がマッチしているのかもしれません。なので、親から得た価値観と周囲の同世代との価値観の違いが、自分の中で自己矛盾として常にあったように思います。そうしたこともあって、家を守る、長男としての役目を果たす、という感覚が強くあったのだと思います。
働くことについて、生活の糧を得るためなら何の仕事でもいいと思います。最近は自己実現を仕事に求めるような風潮がありますが、それも私には何かしっくりと来ません。論語に「五十にして天命を知る」という言葉がありますが、ずっと天命を知りたいと思いながら仕事をしていました。E社に退職希望を出して面談をした時、上長から「何をやりたいのか」と尋ねられて「天命を知りたい」と答えたのを覚えています。天命を知りたいという感覚は、言葉としてとらえるようになったのは最近ですが、振り返れば大学受験の頃から感じていたことでもありました。大学を志して、自分のやりたいことを考えた時、法律と物理が思い浮かびました。法律は英語がからきしだったので早々に諦めましたが、物理の方は核融合などの新エネルギーに携わる仕事をやってみたかったんです。
ただ、卒業後の進路やキャリアを考えた時に、自分は抜きんでた物理学者になれることはなさそうで、大学教授になれたとしてもそれほど給料が良いわけでもないと分かってくると、それなら家業の漁師を継ぐのと同じじゃないか、と言う感覚になってしまいました。自分がその分野で抜きんでた活躍をすることが出来て、かつこれから成長産業で食べるに困らなそうだ、と言う理由で、最終的に情報工学科を選択することになりました。
そこから就職して、今の年齢になり思うことは、天命は与えられるものではなく、自分で見つけるものなのではないかと思います。私のように家の役目を果たそうと思わずに、個人のやりたいことを優先するような人もいますが、それはその人の選択です。私は私で、役目を果たすという選択をして、結果としての今があります。そして自分のやりたいこと、役割などを自覚しながらその都度選んでいくことの結果が天命なのではないかと思います。よくゾウの鼻が長くなった、キリンの首が長くなったのは、それが生存に適していたからだと言いますが、それ以前にゾウは鼻を長くしたいなと思っていたと思うんです。そう望んだ結果鼻が長くなって、生存にも適していたと。天命もそれに似ているのではないかと思います。
IT業界、ソフトウェア開発の黎明期からシステムエンジニアとして関わり唯一無二のスキルを身に着けつつ、ご自身の在り方、役割、天命をずっと問い続けていたと仰る山岡さん。ご長男という役割を終えたと感じられている今は、新しい天命を見出すまでのインターバル期間のように筆者は思えたのでした。
(文章:吉田けい)
山岡さんに聞いた
10年後、20年後のセルフイメージ
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