頑張る原動力は想い
~夢を持つ大切さを伝えたい~
大庭 美代子 さん
母子支援活動家
助産師
熊本出身。
IT企業で働いたのち、母になって40代で助産師に。
地域で母子を支援するサロン「おしゃべりサロンあゆみ」の運営の傍ら、思春期の性の問題から産後のお母さんの育児に至るまで相談に乗っている。新生児訪問、妊娠葛藤相談、クリニックでの育児相談など、活動は多岐にわたる。
自身の経験や活動についてつづっているブログ(https://ameblo.jp/ganba345)も好評で、多くのファンを持つ。
キャリアのスタートはIT企業
今は母子支援活動家としてサロン運営や新生児訪問、育児相談、妊娠葛藤相談の相談員など、助産師としての知識を活かして活動している大庭さん。キャリアのスタートは意外にもIT企業のエンジニアだったそうです。
地元熊本の大学では教育学部で学んでいました。小学生の時からの夢で学校の先生になろうと思っていたのです。でも、育った家庭が複雑だったこともあり、誰から頼まれたわけでもないのに親の面倒を見るために実家を離れられないと思ってもいました。学校の先生って転勤があるんですよね。悩んだけれど、家から通える企業に勤めることに決めたのです。
その会社では、入社から助産師になるために進学を目指して退職するまで、ハードウェアの設計をしていました。今まで学んできたことと全く違う専門職への就職。その決め手になったのは、地元熊本に支社があり、関東に本社がある会社で、制度も充実して女の人も働きやすい会社だったこと。そして、説明会の時に聞いた「工学部出身だけだと考えが偏る。これからは女性や他学部の学生にも入ってもらって柔軟な考えで開発を進めたい。」という方針が魅力的だと思ったことです。
もちろん、最初はすごく苦労しました。言葉がまずわからない。出てくる言葉が外国語のようで。でも、就職の時の話のとおり教育も充実していたし、その時の上司や社風もよかったのですね。
もともとまじめな性格でもあったから「知っているからと胡坐をかいている人より知らないからと一生懸命に学んでくれる人の方が良い。」と言ってもらったことが、とても励みになりました。
まだ景気が良い時で、会社も教育にお金も時間もかけられる時代だったこともありますね。遠方へ出張もあるようなセミナーにも行かせてもらって勉強しました。私よりも大学で勉強してきて知識がある人が行く方がいいのではないかと思ったこともありましたが、その時も上司に「今はわからなくても数年後にわかってつながることがあるから行ってごらん。」と背中を押してもらえた。所属していた部署も最先端の技術を扱う部署だったので、誰しもが初めてのチャレンジということで、専門外の私でもハードルが低かったこともあります。
社内で新しいチャレンジをするときにメンバーの一員として抜擢してもらうなど、やりやすい環境に置いてもらえた。やりにくさを感じることは全くなかったです。
子どもを産むまでは男性と同じように働くことができました。全く同じ立場で同じように評価してもらえる。その代わり、激務ではありました。締め切り前は深夜2時まで残業してまた朝から仕事。休日出勤や100時間超える残業の月もありましたが、残業代も出るし、代休もきちんと取れて出ていたので安心して働けた。そして、チームでの仕事なので、皆で協力して頑張って一つの仕事が終わった後はすごく達成感がありました。
夫も同じ会社のエンジニアです。20代で結婚して、30代で第一子を出産しました。育休産休を取ってその後同じ仕事に復帰して、1年半後にまた同じように育休産休をもらって第二子を出産します。
女性の少ない会社でしたが、産休育休を取っていた先輩が道を作っていてくれたので話を聞くこともできました。ただ私の部署では産休復帰する人員は初めてのこと。私もどうしたらいいのかわからないし、上司も分からない。時短勤務を使っていたのですが、その使い方を間違ってしまったと今になれば思います。仕事がすごく楽しかったので今までと同じように働くことをあきらめることができなかったんですね。