居場所を感じたことがない、周辺なりにやれること
医学業界で、医師でもなく医学の勉強もしていない人のことを周辺にいるという意味で「ペリヘリ」というのだそうです。江頭さんはそれがご自分にまさにピタッとくる言葉だなと思っているとおっやいます。
女性医師と働くことなんてできないと感じていたのですが、一応話を聞いておこうと思い、補助事業を申請された経緯を伺ったのですね。
それでおっしゃったのが、実は定期的に開催されている女性准教授・教授の会という飲み会で、大学に貢献するために補助事業に申請してみようということになり、その結果、採択されたとのことでした。課題がはっきりしており「あの人が本当に大変そうだから何とかしたい」と、支援を必要とする人の固有名詞がでてくる。何としてでも女性研究者を支援していく必要があるという力強さを感じました。
補助事業への申請を、上からのトップダウンや他の大学がとっているからという横並び感覚ではなく、自分たちの意志で申請しようと思われたのだなと感じ、それならぜひ一緒に働きたいと思いました。
その方たちのことを、私は今もトロイカ先生とお呼びしているのです。トロイカみたいにぐわーっと走っていくから。とてもパワフルで、体力と気力と馬力が違います。能力も当然違いますけれど、あの馬力はすごいです。それもびっくりしました。この先生方のためならば手伝う意義はあるかな、トロイカ先生たちのためにという思いはずっとありました。
今は所属が医学部なのですが医師でもなく、医学の勉強もしておらず、私は周辺にいる人間なのです。振返ってみると、私は常に自分の居場所を感じたことがないんですよね。働いていた時も少数派の短大卒で「少し年が若い子」という扱いだったし、大学に編入学したら同級生とは一回り歳が違うし、卒業しても非常勤講師だからずっとペリヘリ(周辺)。子育ても母業に加えて学生もしていたりと、常に周辺でマイナーなところにいたと思うんです。
ですが、ペリヘリなりの存在意義は常に考えます。今の職場は基本的に医師がほとんどです。医師免許がなければできないことがとても多いのです。
例えば、身体診察や医療診断を教えることは私にはできません。なぜ私の担当が低学年かというと、医学部では4年生の後半からは病院での臨床実習を受けるのですが、そこには私は手出しができないのです。だから、医師免許ができなくても私にできることがあれば何でも、と言っています。
病院としては、本当だったら医師を一人でも二人でも採用したいと思っていると思います。私が経営者だったらそう思うだろうな、と思うので。私がどれだけ貢献できるかということを示していかないといけない、というのは常に考えています。
男女共同参画推進室については、補助事業終了後も部屋を残すことはできました。軌道に乗って残せたことはよかった。死に物狂いで残したという感じです。2019年の4月からは医学部医学教育学教室の仕事をしており、男女共同参画推進室への関わりはいち運営委員となりました。
医学部では今年の4月から1年生に、地域で体験をする「早期体験学習」という新しいプログラムを導入しましたが、この後、2年生、3年生と順番にプログラムを導入していきますので、あと2年は確実に必要です。3年間で新しいプログラム入れたら、それを今度は改善していかなければならない。私は定年まで9年しかないので、その3年を3回実践すると定年を迎えます。きっとあっという間です。