「なりたい姿」と延長線上の自分
人材紹介営業への異動の経験から、人事の経験を希望した松本さん。採用面接を通してご自身のキャリアにも焦点を当てていきます。
入社して2年目以降は、A社の親会社に出向となりました。景気が良いので、転職したい人の支援をする親会社の方は業績が良かったんです。出向して半年間はあまり忙しくなかったのですが、半年後に営業に異動することになり、そこからが大変でした。ここからが僕の人材紹介のキャリアの始まりでした。
異動先では、当時入社して約10年の先輩になる佐藤さん(仮名)が退職することになり、佐藤さん担当のお客様を2年目の自分が引き継ぐことになりました。佐藤さんは優秀な方だったので、担当しているお客様は難易度が高いお客様が多かったんです。一方僕は人材業界の素人ではないけど、仕事の流れ、社内システムの使い方、何もわからない状態だったので、本当に大変でした。
人材紹介会社を使って長いお客様の元へ、引継で明らかに新人と分かる自分が連れていかれるわけです。「君は何ができるの」とお客様に言われて、嘘が付けないので「何もできませんけど頑張ります」と答えてしまったり。マネージャーが横で慌ててフォローしてくださいましたけど、後で怒られました。
お客様から怒られて、上司や先輩、別部署の方からも「何にもわかってないな」と怒られて、本当に大変でした。お客様に電話をするのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。でも、お客様には期待をしてもらっていて、育てて頂いたなと思います。担当替えになってしまったお客様もいるけれど、○○社の松本さんではなく、松本崇嗣として誠心誠意取り組みました。
不思議なことに、異動してすぐの10月~12月は全然売上が立ちませんでしたが、ラッキーパンチで1~3月に非常に高い成績を残し、いきなり準MVPの成績を出してしまいました。他の人のように何か創意工夫して成果を出したわけではなく、ただ必死にやっていたら数字が出てきたという感覚なので、運が良かったと思います。ただ当時は疲れてやつれていたので、表彰されることすら億劫でした。
先輩方は「うちのグループに天才が現れた」なんて言ってくれましたが、その後の4月から9月までは鳴かず飛ばずでした。僕の最初の印象が悪いお客様は、その状態から僕自身がフォローや持ち直しをできていなかったので、そこの売上が上がらないんです。ある月なんて売り上げがマイナスになりそうな月がありました。人材を紹介してから、その人がすぐ辞めてしまうと違約金を支払わなくてはいけないのですが、売上がないまま違約金だけある状態で……売上マイナスの人なんていないので本当に焦っていました。でも売上集計締切が18時ちょうどなのですが、18時40秒、あと20秒で締切という時に1件売上が確定して、マイナスを免れました。その瞬間、「オレは神に見放されてはいないんだな」と変なスイッチが入ってすごく明るい気分になりました。ありえないマイナスになるところをあと20秒で回避できたことで、いろいろと吹っ切れました。
僕の成績が振るわない様子を見て、マネージャーが難しいお客様を全部他の方に渡すことにしてくれました。10月から受け持ちの顧客群が変わり、10~12月はぎりぎり予算を達成することができました。
1~3月は新規のお客様も獲得して売上を伸ばすことが出来て、複数の表彰をいただきました。目標数字に対して高い成績を残しただけではなく、数字以外の取り組み、お客様の期待に応えて喜んでいただけたような場合にも賞がもらえます。僕自身がいただいた賞の中で特に嬉しかったのは、他の営業も使えるような汎用的な取り組みをしたということで、統括部賞に選んでいただいたことです。
僕がやったのは、あるPR会社様での取り組みです。そのお客様は、紹介した方の内定は出してくださっていたのですが、辞退率がすごく高かったんです。辞退率が高いままではお客様は面接などで忙しくなるのに結果が出ないです。それは僕も同じなので、何とかしないといけないなと思い、面接のプロセスを分析しました。そうすると、一次面接でのお客様の評価と面接を受けた本人の感想、これらが内定辞退率と相関しているというのを見つけたんです。一次面接を終えて「ぜひ入社したい」という人は、内定が出たらそこに転職します。でも面接の結果、前向きだけどちょっとこの点で懸念がある、というような方は、最終的に辞退することが多いということです。人は第一印象が9割なんて言いますけど、一次面接が9割ということだったんです。
お客様の人事のご担当者様は結構あっさりしている方で、僕には「この人すごく評価高いよ」と仰るのですが、それが面接の中でご本人に伝わっていないんですね。何を評価されているのか分からない、という感想が多かったんです。なので担当者様に「面接で良いなと思った方には、評価をその場で伝えて、期待していること、入社してほしいことを伝えてみてください」とお伝えしました。その取り組みを始めてから、内定辞退率がかなり下がりました。このことを評価していただき、統括部賞として表彰していただき、お客様にも喜んでいただけました。
上記の表彰は有終の美となりました。A社から親会社への出向の任期は2年で、僕と同じように出向している人たちは、そのまま親会社転籍する人が多かったです。僕もどうしようかなと思いましたが、戻ることにしました。営業をやっているうちに、お客様のことをもっと知りたいなと思うようになっていたんです。
人材の仕事をしている限り、カウンターパートはお客様の人事の方になります。なので人事の仕事を理解した方が、人事の人がどういう気持ちで働いていて、何が重要なのか、自分事として考えることが出来るんじゃないか、その方がよりよい営業ができるんじゃないかなと。それは人に聞くよりも自分でやってみた方が早いな、というのが動機です。今から思えば、決してそんなことはないなと言えるんですが、当時の僕にはそれがすごく大事に思えました。なのでA社には管理部門で戻ることにさせてもらいました。人事に行って、採用する側になってみたかったんです。親会社の営業部の方たちからは「適性ないだろ」なんて言われましたけど、人事総務部門で3年間勤めました。
人事総務部門の最初の業務は、法務コンプライアンスでした。契約書作成や、法令変更による業務フロー変更のため、営業へのレクチャー資料を作ったり、レクチャー講師をやったりだとかです。法律のことは全然素人だったので、勉強することから始めました。
資料作りや講師の経験は、のちのキャリアにも生きているなと感じます。2年目からは中途採用が始まりました。だんだん担当業務が増えて、最終的には労務の勤怠管理などもやりました。同じ職種を1年半以上続けたことがないですね。法務は専任で1年、そこからは兼任です。
社員が300人ほどいる中、人事総務部門は10人弱なので、兼任も当たり前です。そこで提案書の作成、稟議書などの文書の作成、研修資料の作成など、社内の仕事を覚えました。新卒入社から6年、人事総務部門になって3年ほどすると、業務内容はほぼ中途採用担当になりました。中途採用に関わるのは部長と僕の二人だけなので、僕がほぼ実働部隊です。半年間で30人以上採用したので、ものすごく忙しかったです。会社として中途採用自体をかなり久々にやるので、採用プロセスは全部松本が決めていいよ、と言われていたので、説明会、セミナー、面接調整など全部やりました。7職種募集のうち4職種が会社として初めて採用する職種だったので、採用ターゲットの設定、プロセス、メッセージの打ち出しなどもやりました。
採用で面接をしていると、自分と同い年や年下の方、社会人2年目、3年目の方と話すことが多くあります。面接という場では、それぞれの方が自分のやりたいこと、なりたい姿に向かってチャレンジしている様子を聞くわけです。そうしているうちに、自分はこの人たちのようになりたい姿に向かえているのかな、ということを考え始めました。偉そうに面接しているけど、オレ自身はどうなんだ、オレのなりたい姿はこの会社の延長線上にあるのか、と。考えるうちに、違うな、この会社ではないんじゃないかなと思い始めました。
そんな折、親会社出向中に僕にお客様を引き継いだ佐藤さんのことを思い出しました。佐藤さんはB社というヘッドハンティング企業に転職され、親会社を退職した後もずっとやり取りさせていただいていました。佐藤さんの他にもいろいろな会社の方のお話を聞き、自分のなりたい姿を具体的にしていったんです。
新卒の時に考えていた「外国人人材の就業支援」というキーワードを思い出してみると、B社はグローバル人材に特化しているので、いつか僕のやりたいこととつながってくるんじゃないかな、という気がしました。そしてB社に行ってすごく活躍していて、驚くような年収を稼いでいる佐藤さんの姿に一番憧れるな、とも思いました。佐藤さんも「まっちゃんなら行けるよ」と言ってくれて、じゃあ転職してみよう、と決意しました。