事件はクリスマスに起こる 世界2位からの大転換

東日本大震災を機に離職を決意する阪井さん。転職先でも素晴らしい業績を記録しますが、驚きの宣告に、その後のキャリアを見つめ直します。

近畿ツーリストを入社して1年ほどで、東日本大震災が起こりました。僕の故郷の福島県いわき市も大きな被害に遭って、見慣れた光景がすべて津波で流されて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまいました。旅行業が多大な影響を受ける中、会社では震災現場へのボランティア派遣ツアーを取り扱っていました。会社としても何とか売上を上げなければいけないので、ツアーからいかに利益を取るかということだったんですが、その姿勢が僕の中でどうにも我慢が出来なくて……利益が必要なのは頭では理解できるけど、感情的に許せませんでした。また、業績が苦しいためボーナスや手取りがカットされ、直属の上司が「生活できないから車を売った」と言ったのを聞いてしまい、僕より上の立場の人でも生活できないんだと衝撃を受けて、このままでは駄目だと転職を決意しました。

次の職場は株式会社オリエンタルランドでのアルバイトでした。ホテルや旅行の非日常感、現実から離れられるのが好きで、ディズニーランドにも通じるものがあるなと感じたからです。パーク隣接ホテルのミラコスタでベルボーイを始めました。期間は半年でしたが、ディズニーの魅力を知ることが出来たと思います。ディズニーは裏側もやっぱりディズニーで、夢を壊さないようになっていて、CS(カスタマーサービス)だけではなくES(労働者サービス)がしっかりしている会社だなと思いました。働いている人たちも本当にいい人ばかりでした。ただ、やはりアルバイトなので社会保障はないし、手取りも少ないし、ホテル勤務なので夜勤もありました。なのでずっと勤め続けるのは難しいなと、また転職しました。 次に選んだのはヒルトン・ワールドワイド・インターナショナル・ジャパン合同会社です。求人広告に「稼げるよ」と書いてあったのが魅力で選びました。ハワイにあるヒルトンホテルのコンドミニアムの使用権、タイムシェアが販売されているのですが、その説明会への案内をする仕事でした。新宿のヒルトンや高島屋、それから空港で、アロハシャツを着て「ハワイ旅行が当たるアンケートをやっていますよ」とご案内するんです。アンケートに答えて頂いて、そこから説明会のことを話して、興味を持った人が説明会に来たら1カウント。その人がコンドミニアム使用権を契約したら1カウント。この2つと、あと契約金額がインセンティブのポイントでした。僕は成田空港の制限エリア内でご案内していたのですが、説明会への招致率が高く、またそこからのクロージング率(成約率)、契約金額も高かった。月に3,000万円くらい売り上げて、入社して半年で世界2位の売上を記録しました。ちなみに1位はハワイ現地の担当者で、実際に物件を見に行けるのでとても強く、僕の倍くらい売上がありました。

半年の間に単純計算で8,000人と話したことになります。空港内はお客様にとってやることや誘惑がたくさんあるので、一人当たりの持ち時間が5分ほどしかないんです。そうするとアンケートをお願いしている5分間にものすごいセールストークをしていると思われるかもしれません、実際、同僚は怒濤のセールストークをしていました。でも僕はセールストークは全然しませんでした。その代わりに行先だとかご家族のことだとかお住まいだとか、アンケートの回答を見ながら雑談をしていたんです。そうしていると、向こうから「何か言いたいことがあるんじゃないの?」と言ってくれて、そこで初めてコンドミニアムのご案内をしていたんです。結局セールスってこういうことなんですよ。売れないセールスマンは相手の耳のシャッターが空く前にプレゼンしてしまう。そうではなく、相手が自分に興味を持ってくれた時に、実はね……、とご案内するんです。しかも雑談の時にもう相手の情報を収集しているので、たとえばお孫さんがいる方なら「年に一回、年末にお孫さんと一緒にハワイに行って思い出を作る方が多いんですよ。ハワイに別荘があるおじいちゃんってちょっとカッコいいですよね」とかいうと、いいねえ、と興味を持ってくださる。相手の頭の中でタイムシェアを使っているイメージを描いてもらうんです。それで、何月何日に説明会をやってます、よかったら予定を押さえてください、と言って、招待状を渡しておしまいです。これから行く海外旅行よりもこの説明会の方が重要だとその場で印象付けることを心掛けていました。フォローの電話をしてはいけない決まりだったので、説明会の日まで何もできませんが、みなさん足を運んでくださいました。インセンティブがすごくて、月給手取りで100万円くらいいただいていました。でも若かったので友達に奢ったりして全部使っちゃって、翌年の住民税で大変な思いをしたんですけどね(笑)。

好成績を上げることができたヒルトン・ワールドワイドでしたが、こちらも半年で退職しました。新卒の頃からネットワークビジネスを細々とやっていたんですが、社内の人に声をかけてしまったのがバレて、クビになってしまったんです。クリスマスの日に上司に呼び出されて、「阪井さん、会社クビ」と言われて。クリスマスの朝に呼び出され、クビを宣告されて泣きながら帰るという経験をしました。友達もいなくなって一人ぼっちになって……。何の仕事を探そうかという時、僕の側からプッシュする営業ではなく、興味がある方が自ら来てもらうにはどうしたらいいのか、それを考えるのが自分が本当にやりたいことなんじゃないかと思い当たり、ブログを書き始めました。

ブログを始めて副業をスタートさせましたが、でもそちらだけでは生活できないので、もう1社経験しました。基準は残業がないこと、9時~17時(クジゴジ)で仕事が終わることで、選んだのは政府系NPOでした。生活費を確保するためだったので、クジゴジならNPOじゃなくても何でもよかったんです。

仕事は広報バスの運転と広報活動の実施です。クジゴジが良くて選んだつもりの仕事でしたが、バスの準備があるので朝早いんです。8時集合の21時解散とか。これは終わりの時間が遅いというより、バスが戻るときに高速の渋滞で立ち往生だとか、そういった理由もありました。アンケート記入をお願いするために声をかけるので、ヒルトンの経験が役に立ったなと思います。ただ、あくまでもアンケートなので、ヒルトンのようなインセンティブなどはありません。成績を付けていたとしたら結構いい成績が出ていたと思います。だいたい3年ほどNPOに勤務して、副業が本格的になってきたので独立しました。 副業では、顔出しはせず似顔絵のアイコンを使用していました。今はもう独立して起業しているので顔を出してもいいんですけど、アイコンの認知度が高まっていたので、ブランディング的な意味合いで使い続けています。

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