「大丈夫だよ」と言ってあげられる人から輝かせる人へ
最初のお子さんの看病の経験から、「自分のいる場所を自分で輝かせる」ことを「できる」「それが幸せ」と覚悟して、きちんと実際に行動していきます。活動を小さくまとめず、次へ次へと育てていく。そうしていく中でたくさんの人やチャンスとの出会いもありました。
最初は3人だった『こなめの会』がどんどん増えてきて自宅に入りきらなくなったので、区の社会協議会に登録して集会所で活動するようになりました。活動ではいろんなことをやってみたのですけれど、ちょっと「手作り」をやってみたらみんな夢中で。子どもたちは足元にいたり誰かが見ていたり、みんなで助け合いながら手作りしました。
隣同士に座った人が初対面であっても手作りがあるおかげで話せるんですよ。それを見ていて「これ、すごい」って。これは手作りのすごさを見たね、と言って、サークルとして手作りをする団体にしようと決めました。悩み事があるからみんなで話そうよ、というような目的は下のほうに沈めておこうと。
そうすると妊娠前にこういうことやっていた、というのをみんながちょこちょこ話してくれるようになって、次はそれ先生やってね、というとその人もまた勉強するんですよね。その流れができてくるとみんなのできることが本物になっていく。
そうして作って育てたもので展覧会をしました。家族や一般の人も来てくれて共感してくれてそれが励みになる。その後、仙川や深大寺の手作り市にも出店するようになりました。みんなでがま口を作って「ほっこり暮らしのがまぐち屋さん」という名前でいろんながまぐちを作って売りました。
そうすると自分たちの街にも手作り市が欲しくなって、『カラスヤマ手作り市』を作りました。最初の子どもから学んだ「何もないところを輝かせる」こと、今それをするときだな、と思いました。
ちょうどその準備をしているときに今の『おへそカフェ』の場所に箱店がオープンすることになったのです。こういうのを待っていた!と思って店主さんに会いに行きました。
『こなめの会』は集会所を渡り歩いての活動だったので、いつか、誰でもいつでも来られるカフェのようなのをやりたいな、と思っていてちらほら話もしていました。それもあってしばらくして、その店でカフェをやりませんか?と言ってもらい、そこで『ぬいぬい』というカフェをやり始めました。
お料理は得意なメンバーにお任せして、私は運営をやっていました。
その運営をしていく中で、もっともっとさらに自分の「生きる」ということを考え始めたのです。
心って一瞬で変わる。楽しいと思っていても次の瞬間に悲しくなったり。まだまだ自分も不安定だからもっと成長したいと思ってヨガの勉強を始めました。『ぬいぬい』は3年程続けたのですが、最後のほうにはインストラクターになってヨガのクラスを2階のスペースで始めました。
その後、箱店のオーナーさんが閉じることになり、その場所を継続しないか、というお話をいただきました。「このタイミングか」と思ったけれど、やってみよう、と思って。そこから、お金のことや内装も全部自分のイメージでやったり、経営ということが現実的になっていきました。
大きな声では言えませんが、料理は得意ではありません。でも食べることって毎日続くこと。人の命を預かること。お客さんが食べて「うれしい」っていう顔を見ると、こんなすごい手作りはないな、と思うのです。仕込みから皿洗いまでずっと続くし大変だけれど、ごはんもこの場所に必要なことだから、苦手ですなんて言えません。修行僧のような気持ちで玉ねぎを切っています。(笑)