省みて気付いた、暴君の正体
苦境を乗り越え、学んだことを現場で生かしていた中島さん。次なる転機で地元に戻り、ご実家の家業を継ぐことになりました。
新事業をしつつキャンプをしつつ、実家に戻ったのは、2013年頃でした。2012年の3月ごろ、こちらに帰ってきてくれないか、と父から話がありました。父の容態が良くなかったので、家業ですとか、そうしたものが心配だったのだろうと思います。兄がいるので 家業の方は問題なかったのですが、所有している不動産の処遇を心配していたんでしょう。その打診があった後、父が亡くなったことをきっかけに実家に戻りました。
41歳で設立した新会社では、教わったことを全て実験して、十分わかったという手ごたえがありました。だから父に帰って来いよと言われた時は、いいタイミングがあるものだと思いました。ですが会社があるのですぐには帰れません。会社を処理するのに1年かかって、弱い自分を作りながら帰ってきました。もう駄目なんだよ、もう駄目なんだよ、と言いながら、変な表現ですが、社員たちが僕を裏切るように仕向けて、二度と僕と関与しないように仕向けて行きました。お金も渡して、お客様も渡して、好きなものを持って行かせてあげました。今こうして堂々と会社を経営している僕を見たら、彼らは驚くと思います。
本当は父が亡くなってから、木こりになろうと思っていたんです。自分に疲れていて、誰にも会いたくなかったんですよね。キャンプが好きだから山にいよう、秩父の山奥にでも行って林業でもやっていようと考えていたんです。そうしたら誰にも会わないだろうなと。そのまま森の中で朽ち果てて死ねるな、なんて最期を思い描いていたんですけど、父が亡くなってから兄弟二人で話をした時に、兄に「何言ってんだよ」と言われてしまいました。兄の頼みで家業の不動産を中心に、中島建物を始めました。
47歳で実家に戻り、家業の不動産を扱うことになり、今までのことを振り返りました。いろいろなことをやって、学び、いろいろんなことを理解できたけれども、僕は裸の王様だったな、と痛感しました。31の時に独立して、いきさつから社長をやりましたけど、人の心を見ずに動いていたな、と。暴君だったので、押さえつけて従わせていたので、彼らの本音とは違う行動だったのでしょうね。それで、本音が違う人達が集まった時に失礼なことを言ってたな、と思い出したりしました。そうした自分を阻止できなかったのは、僕が暴君だったのがいけなかったんだな、というのがしみじみと分かりました。これは恥ずかしいなと。僕は暴君で、単なる裸の王様でしかなかった、という世界ですよね。
振り返りから得たことを踏まえ暴君にならないよう、中島建物では人を雇わない方針でいくことにしました。そのため準備から契約まで、事務作業も含め全て自分一人で処理してしまいます。一人で完結できるように仕事の仕組みを組んでしまいました。それでいて、もし僕がこれから事業を拡大させる気になり人を雇い入れたとしたら、どの部分に入っていただいても大丈夫なようにも構築してあります。
そうして一人でやっているのですが、幸い沢山のお引き合いに恵まれお声を掛けていただくことが多く、大切なお客様の事務処理がたくさんあります。ですが一人で出来る仕事の量は限られてきますので、そろそろ人を雇ってもよいのかな、と思い始めたところです。
2013年に実家に戻ってきた当初、実家が所有している物件は老人マンションになってしまっていました。入居者が年配の方ばかりで、若い方が少なかったんですね。でも建物そのものや間取りを見た時、若い夫婦だって入れる物件だなと思いました。ただ地域の不動産屋さんに仲介をお願いしていると、そちらは自社物件の紹介を優先しますので、仲介を依頼している物件は後回しになります。順番が回ってきたとしても、こちらが提示している条件に少し満たない方でも「こういう条件ですけどお願いします」という入居が多く、希望条件よりも無理を通さなければいけません。そうすると後でどこかにひずみが出てきます。年齢が高ければ部屋で倒れたり、入院して家賃を滞納したりだとか、収入が低ければ家賃を滞納する人がいたりだとか。そうした状態を時間をかけて整理し、マンションの入居者が若い世代の方になり、コミュニティもできてきました。
中島建物ではソーシャルアパートメントを運営しています。ソーシャルと言ってもシェアハウスのように住人同士の交流を整えたりするわけではありません。部屋を貸すにあたって、普通賃貸、1か月単位の定期借家、そしてホテルなどのような宿泊の3つの形態がありますが、これらすべて1つの建物で実施するのがソーシャルアパートメントです。部分的に言えば、宿泊やホテル業、定期借家はサービスアパートメントといいます。定期借家は1か月単位で契約をして、先にお金をいただきます。ホテルよりも定期借家のステイにした方がお得だし、自宅のような完全なプライベート空間が確保できます。こうした形でソーシャルアパートメントをきちんと運営すれば、ビルオーナーさんにはかなりの利益が残るという事が分かりました。
ソーシャルアパートメントは既に主流になってきていますが、通常の賃貸経営では、下町や古い建物を持ったオーナーさんですとなかなか苦労しています。ソーシャルアパートメント化すればいいんだ、と見通しを立てたのがコロナ禍前でした。コロナ禍当初は絶望的で、不動産屋としては大分苦労しました。でも家を移動したいという人は一定数いましたので、ある程度はいけるな、と見通しを立てました。ただ、入居者の年収が下がりますので、管理物件(普通賃貸)の方から抜けていく人が多かったです。安くて広い物件がどんどん出てしまいますので、ファミリー層もワンルームに関しても同じ傾向でした。なので猶更ソーシャルアパートメントを並行して、日本帰国者の一時滞在を受け入れだとか、仕事でどうしても海外から来日する方の宿泊先として提供することで、うまくバランスをとれるような形になって来てはいます。このノウハウが出来上がるまでは、正直言いまして悪戦苦闘しておりました。これが軌道に乗ったということが、これからはソーシャルアパートメントがいいんじゃないか、という感覚になりますかね。 一つのマンションやアパートが満室になると、その地域の経済が変わります。地域に貢献していくという気持ち、それが不動産屋の生き方なのではないかなと感じています。