わたしのパーツが見えてきた!

~唯一無二の整理術を生んだ、キャリア転向の契機とは~

上口 まみ(かみぐち まみ)さん

NTTドコモグループのIT会社にて、プログラマとして業務システム開発に従事。その後、一部上場の専門商社へ転職し、販売促進部門の営業サポート業務に転向。
営業未経験でありながら、新規開発された数百万~数千万の、高額システムのプレゼン・デモンストレーションを担当。年間120回以上、プレゼン、デモンストレーション、研修、展示会の司会などを行う。2014年度、最終プレゼンを担当したチームの売り上げは2.5億、契約率は70%を達成。プレゼンを始めた当初は、人前に立つだけで緊張で倒れそうになったり、お客様に価値を伝えきれず、契約失注が続く。提案営業は個人力とチーム力のかけ算であることに気づき、自身は”プレゼン力”と”価値の魅せ方”を磨くことに一点集中。プレゼンに必要な情報はチームメンバが収集する、という役割分担を行うことでチームの契約率が飛躍する。
2015年3月独立。2017年6月株式会社ミセルカ設立。現在も現役のプレゼンターとして企業の主力製品・サービスのプレゼンを行う傍ら、研修インストラクターの育成、士業・コンサルタントや企業向けにセミナー用スライド、販促用資料、チラシ、ホームページなど、わかりづらい価値を魅せる化した制作を請け負う。


やりたいことはデスクにはなかった! 希望の職業からの大胆な転向

デザイン学科専攻でありながらプログラマーとして就職した上口さん。思いがけないキャリアの理由を一つずつ教えて頂きました。

わたしが就職した2000年頃は、ITがぐんぐん伸びてプログラマーやSEといった職業が職種として一気に広がっていったような時期でした。当のわたしはデザイン学科を出たのですが、Webデザイン系に進むか、それとも脚光を浴びているIT系に行くか、という二つの方向性で迷いました。わたしの専攻はグラフィックデザインであってWebデザインではないので、希望するWebデザインは未経験ですし、勿論プログラミングも未経験です。でもどちらも面白そうだなと感じ、この二つの業界で就職活動をし、ありがたいことに両方受かりました。どちらにするか決める時、IT経験がないのにプログラマーで受かったので「これを逃す手はない」と思い、プログラマーの道を選びました。
それに、IT業界は未知の世界だったので面白そうだなという直感もありました。この時に直感を信じて選んでよかったと思います。「でかした!」と当時の自分に言ってあげたいです。

内定をいただいて入社したのはNTT系のIT会社でした。とても楽しかったです。4年間プログラマーとして、C言語、VB、JAVA、SAPあたりのプログラミング言語を使ってコーディングする日々でした。いまだに不思議なのですが、書いた言語の指示通りにシステムが動くというのが、すごく面白かったんですよね。画面の表示が変わるとか、帳票が出てくるとか。思い通りにシステムが動かない時、自分としては「絶対わたしは間違ってない!」と思っても、結果としてはやっぱりわたしが100%間違っているんですよね。ピリオドがないとか無限ループをしてしまうとか。自分の思い込みから状況を悪化させてしまうところなんて、人間関係にも通じるところだなと思ったりもしました。四苦八苦しながら、思った通りの動きをしてくれるシステムが完成した時の感動が素晴らしく、面白いなと感じていました。

プログラミングはとても面白いし楽しかったけれど、プログラマーとしては落ちこぼれでした。プログラマーやSEは、シンプルなコードを「美しい」っていうんですが、わたしのコードは美しいと言われることはなかったんです。コメントがやたら長くて、「コメントを見れば上口が作ったって分かる」なんて言われました。すごく印象的な失敗は、あるシステムで昨日のデータと今日のデータの差分を抽出するプログラムを作った時です。昨日と今日の差分なので、結果は今日出てほしいですよね。でもわたしが作ったシステムは、差分を出すまで3日かかりました。差分を出し始めて3日、出た頃にはもう更に3日分溜まってしまっています。先輩が作り直すと、差分が3時間で出るようになったので、わたしには向いていないなと思いました。一緒にお仕事させてもらったみなさんは本当にいい人ばかりで、環境も良かったので、落ちこぼれではあったけれどとても楽しい4年間でもありました。今でも先輩や同僚と会ったりして関係は続いています。

4年間プログラマーとして勤めた後、転職しました。その会社が嫌になったというわけではないのですが、やっぱりデザイン系がやりたいなという気持ちが強くなりました。退職後に1年間デジタルハリウッドという専門学校に通うのですが、当初やりたかったWebデザインよりも映画やCMを作るCG制作の方が面白そうだなと感じ、CGコースを専攻しました。基本的に面白そうだなという直感で決めちゃうんですよね、深く人生設計をするより、なんか楽しそうだな、と。専門学校卒業後はそのままCG制作プロダクションにクリエイターとして入社しました。

そのCG会社は当時アメリカで主流の完全分業制でした。日本のCGプロダクションではすべての工程を一人でやるのが一般的ですが、そこではキャラクターを作る人、キャラを動かすために骨を入れる人、動かす人、ライティングをする人、全体の編集をする人、と、細かく分業制になっていました。わたしはその中でもモデラーと言われるクリエイターでした。キャラクターや物を作るところです。

モデラーとして1年間クリエイターをしていくとまた心境の変化があり、今度は仕事全体を見る仕事がしたくなりました。いろいろな人が関わって映画やCMが出来ていく中、そのごく一部分に携わるのではなく、作品の誕生からリリースされるまで出来上がっていく過程の全体が見たいと思ったんです。それから、明らかに周りの同僚と比べて、わたし、才能ないんだなと思ったのも理由の一つです。周りの人たちは職人気質で、作ることが大好きだから、デザインや細部にすごくこだわって作り込んでいきます。わたしもCG制作は楽しいし好きですが、周りの人たちほどこだわりがなくて。才能と情熱が周りのみんなに比べるとないんだな、というのを痛感しました。プログラミングもCGも、基本的にはPCに向かってコツコツやっていく仕事です。わたしにはそういう仕事が向いていると思っていたのですが、どうも違うような気がしてきました。一部の仕事を請け負ってずっとPCに向かっているよりも、0から100までモノが出来ていく過程を見て、かつお客様といろいろなやりとりをしたいな、という方に気持ちが変わっていきました。そっちの方が楽しそうだなって。楽しそうだなと思うと行っちゃうんですね、わたし。

全体を見る仕事、プロジェクトマネージャー(以下PM)に転向し、3年間勤めました。PMは想像以上に楽しく、転向して良かったー! と思いました。それまでの作業は0を1にするような仕事でしたが、それが100になるまで、動いてライティングされて命が吹き込まれ、作品として世の中にリリースされていく、そこまでずっと関わっていけるというのが楽しかった。そして何よりも、常に人とコミュニケーションをとって、チームを組んでやりとりをするので、叱られることもあったけれどとても楽しかったです。叱っていただけるってありがたいことですよね。わたしはあのCG会社にいた時が人生で一番叱られたかもしれません。

PMの経験は、今の仕事のベースとなる大切な学びになりました。ある時、社運を左右するような、新規のビックプロジェクトが発足した時のことです。わたしが未経験の分野を担当させてほしいと上司に交渉をした時、こう言われたんです。「今担当している仕事を、誰でもわかるように整理して、上口さんと同じレベルまで後輩を育てて。そしたら新チームの担当にするよ」と。会社や管理者からすると当たり前のことなのですが、当時のわたしには衝撃的でした。自分にしかできない仕事、わたしだからできる。そんな風にならなければいけない、じゃないとここにいる意味がない。そういった考え方が大きく覆された出来事でした。

入って間もない後輩でもすぐにその仕事ができるように、自分の仕事やデータを必死で整理しました。

整理が進むにつれ「上口じゃないとできない」と思われたい気持ちは消えて行き、日頃から自分がやっている仕事を標準化するようになり、それが得意になっていきました。自分の仕事を属人的にしないで、誰でも出来るようにしておく。この考え方とやり方が、今のわたしの仕事のやり方のベースになっています。 PMの仕事はとても楽しかったけれど、一方でとても忙しかったです。会社に週3日は泊まり込み、終電だと「あー今日は帰れる! 嬉しい!」という感覚でした。周りのみんなも同じように泊まり込んでいましたね。それが当たり前になっていたのですが、30歳が目前に迫った時、この生活はいつまで続くんだろう、と疑問に思いました。仕事はとても楽しく充実感もあるけれど、休みもなく働いていたので、ふと立ち止まったというのでしょうか。忙しいのが当たり前のような感覚で、辛いと感じていたわけではないのだけれど、目の前のことが毎日瞬きをするように過ぎて行くばかりで、そうしたことをしっかり考える時間もない。これはよくないな、という思いが強くなってきて、退職を決意しました。

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