あの顔が、クレームコンサルタントを生んだ

東京と北海道の行き来を20年続けてプレイバックシアタープラクティショナーの資格を取得した山下さん。ある人との出会いが夢を叶える第一歩となり、キャリアが大きく転換していきます。

プレイバックシアターの資格を取得してから5年で公務員を退職し、独立しました。2008年のことだったと思います。きっかけは独立1年前の2007年に福島正伸先生とお会いしたことです。友達に誘われて福島先生の講演会に参加し、内容が面白かったので会場で販売されている本を買おうとしたら、もう私が持っている本が何冊も並んでいたんです! 驚いたと同時にとても納得し、まだ読んでいない書籍を購入しました。購入した書籍にサインをしていただけるのですが、その時に福島先生から「ゆみ姐、諦めなければ夢はかなうんだよ!」と言われて、「そうか、叶うのか」と言葉を素直に受け取って。じゃあ夢を叶えてみようか、と公務員をやめて事業を立ち上げることにしました。

当時の私の夢は、学校を創立することでした。今日の日本では、障がい者は学校教育からしてずっと別々に分けられています。あの人たちは障がい者で、勉強ができないんだよ、君たちとは違うんだよ、と子供たちは無意識に教えられて育ち、そうした価値観を持って大きくなるわけです。そうやって隔てられていた人たちが社会に出て、一緒に働いてくださいと突然言われても、うまくいくわけがないんだな、と思いました。だから知能に差があっても同じ教室で一緒に過ごすことができる学校を作ってみたくなりました。全員が同じカリキュラムを勉強することは無理ですけど、必要なフォローが出来るような体制があれば、同じ空間で過ごして、お互いのことを理解するのは可能なんじゃないかと、夢を描いていたんです。当時、妹が勤務先で酷い暴行を受けるも、被害者である妹本人が証言できないために事件を事件として立証できず、誰も助けてくれない、障がい者は差別されている、と激しい憤りを感じたことも、そんな学校を創りたいという思いをより強くしていました。福島先生の言葉を受けて、学校を創りたいという夢が「学校を作ろう!」という思いに変わった瞬間でした。

いざ夢を叶えよう、学校を作ろうと思うと、公務員の給与ではとても実現できません。公務員を退職して、事業として本腰を入れてやらないとダメだと思い退職しました。ですが想いだけで学校設立という大きな事業がトントン拍子に叶うはずもなく、失敗に終わってしまいました。いつか学校を作るために何か別の事業をしなきゃ、と思った時、市役所のインフォメーションで私を怒鳴りつけたおじさんの真っ赤な顔がパッと思い浮かんだんです。公務員になって15年過ぎた頃、クレームを言いに来た方が笑顔で帰った後、また別のクレームの人を連れてくるんですよね。この人なら何とかしてくれるから話してみろ、って。役所の仕事でなんとかできることってそんなに無いのですが、私と話しているうちに「仕方がないな〜」と笑顔になるんです。私が部署異動をしてもその先までやってきて、「異動するなら教えてよ」なんて言うんです。ファンなのかストーカーなのか分からない不思議な交流でしたけれど、怒っていた人たちが最後は笑顔で帰っていくのを見送るのは嬉しかった。私、クレーム得意だったな、と思い出して、個人事業主としてクレームコンサルタントを名乗り始めました。

当時は、ある程度の規模の企業にクレーム対応の部署があるかなというくらいで、クレームを専門に仕事にしている人はいませんでした。2年ほどすると仕事が増えてきて、北海道新聞社から文化センターでクレームセミナー開催するなどのご依頼もいただいたり、「北海道NO1のクレームコンサルタントだね」と言っていただけるようになりました。それを聞いて、北海道でNO1なら、東京でもやっていけるんじゃないかな、と思ったんですね。学校事業の資金返済もありましたし、北海道で活躍して、資金を返済しているだけじゃ、その先の学校設立まではとても辿り着かないなと。東京に行って、もっともっと自分の事業を大きくしてみたいという思いが強くなり、上京を決意しました。

2012年に上京してクレームコンサルタントとして仕事をするにあたり、拠点となる事務所を構えることにしました。当時、チームNO1という勉強会で知り合った方に麻布十番の物件を紹介してもらい、土地勘もなかったのでそこに決めてしまいました。今思えば家賃がとても高かったですね! 最初は事務所で仕事をし、私はホテルで何日か暮らしていたのですが、だんだん東京にいる期間が多くなりました。事務所を拠点に東京で活動をしつつ、月に1~2回ほど札幌に帰るような生活が始まりました。クレームコンサルタントとしてセミナーなども開始しました。

せっかく東京に来たので、自分がセミナーを開催するだけではなく、いろいろなセミナーを受講するようになりました。そうして分かったのは、札幌のセミナーはレベルが高かったんだな、ということです。東京はセミナーの数こそ多いですが、価格も中身もピンからキリまであって、素晴らしいセミナーもあればしょうもない物もありました。これなら札幌で3,000円のあのセミナーの方がよっぽどいいこと話してるじゃない、なんて思ったりもしましたね。

上京する前のことになりますが、2010年には福島正伸先生主催のドリームプラン・プレゼンテーションにも参加し、学校創立の夢を語りました。改めて自分の夢を語ることで、やっぱり学校を創りたい、諦められない、という思いが強くなり、スーパーアントレ講座にも参加しました。その時に出会った人たちは、その後もいろいろなところで助けて頂きました。 スーパーアントレ講座を受講し「夢は叶うけれど、夢だけではダメなんだ」ということを痛いほど理解しました。経営者は夢や想いだけではなく、事業を成功させるためにいろいろなことを考えなければいけないんだということが良く分かりました。
私には学校創立・運営の事業的な側面の視点が全くなくて、だから上手くいかなかったんだなと。では夢の実現に向けて、今ある事業をもっと大きくして資金を作ろうと考えた時、クレームコンサルタント業は既に非常に好調でした。私も講座やコンサルティングの回数を重ねて、相手への伝え方が上手くなってきていましたし、クレーム解決の手法もどんどんブラッシュシアップして、すごくシンプルな形になっていました。好調ではありましたが、私は誰もやっていない、誰も教えていない、私が作る新しいものが大好きなので、他の事業は何かないかな、と頭の隅で考え始めていました。

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