北の国が生んだ、最強のクレームコンサルタント!
夢を叶えるために、自分で自分の人生を生き始めた

山下 由美(やました ゆみ)さん

大千葉県在住、札幌に生まれ、地方公務員として30年間勤務。福祉部、税務部などでクレーム対応を担当。
仕事の傍ら、プレイバックシアター(即興演劇)、心理学、コーチングなどを学び、それらの手法を生かしたクレーム対応手法を発見。
2007年、役所を早期退職後、「ムジカ研究所」を設立。クレームコンサルタントとして活動を始める。
クレーム対応プログラム、戦略ストーリー構築、キャリアアップ、教育支援など、全国でさまざまな企業研修を行い、大企業から警察、教育、医療機関まで対象を広げている。
IPTNプレイバックシアター プラクティショナー、NLPプラクティショナー、国家資格キャリアコンサルタント、日本産業カウンセラー協会 産業カウンセラー。


公務員は、〇〇できない!

山下さんのキャリアは、公務員として地元での就職からスタートしました。大勢の方のご相談事を真摯に受け止め続けたご経験が、クレームコンサルタントの素地を確実に作っていきます。

高校を卒業後、公務員試験に合格していたので北海道のある市の職員になりました。東京の大学に行くことも決まっていましたが、地元に就職してほしいという親の希望をかなえる形での就職となりました。私の妹は知的障がいを持っており、その世話を生涯して欲しいという親の意向はずっと聞いていたので、仕方がない、自分がやるべきことだと素直に受け入れました。ただ、大学生がとても羨ましかった! 仲の良い同級生も進学と就職というように進路が別れると、だんだん関係が希薄になって来ました。環境も違うし、共通の話題も減る一方です。就職することを受け入れはしましたが、もし進学していたら全く違う人生だったのだろうなと思います。

就職して研修を終え、最初に配属されたのは総合窓口課でした。市役所の建物を入ってすぐにインフォメーションのコーナーがあり、コーナー内に立って来庁者にフロアのご案内などをする係です。18歳の右も左も分からないような小娘の私がインフォメーションに立っていると、ある日顔が真っ赤な酔っ払いのおじさんが、まっすぐインフォメーションに向かって歩いてきました。やだな~こっち来ないで~と思いながら必死に目を逸らしていたのですが、おじさんはバン! とインフォメーションの机を叩くと、「てめえこの野郎、税金でメシ食ってるのになにボーッとしてるんだ!」と大声で怒鳴るのです。税金でお給料をいただいているのは事実ですし、ボーッとしていたわけではないのですが、怒鳴り声に対して反論する言葉が分からず、「はい……、はい……」と言いながら縮こまるしかできませんでした。人生で初めてのクレームでしたね。

こういう内容のクレームは、総合窓口課から異動した先のいろいろな部署でもしょっちゅうありました。他のクレームもたくさんありましたが、「税金で食べて~」の類はだいたい1か月に1~2回はあったんじゃないでしょうか。みんな何かしら困っていて、でもこちらが何にお困りかを把握しきれていない状態でお話しするので、こういう台詞を言ってしまうんですね。そういったクレームをよくお受けするようになって10年ほどした頃、「確かに私は税金でお給料をいただいているな」とどこか腑に落ちる感覚がありました。それなら、税金で食べていると言える仕事をしよう、誰か一人の税金ではなく、みなさんからいただいた税金なので、仕事はみなさんに対して平等にしよう、と思いました。窓口に相談に来られる方は何かしらで困っていて、自分だけ助けてほしいと望まれています。でも私は税金で食べさせてもらっているからには、その方だけ特別扱いすることはできない、それをはっきり言うことにしました。

それ以来、「税金で食べてる……」とクレームを言われる度、「ありがとうございます、仰る通りです、みなさまの税金で仕事をさせていただいているので、みなさま平等に対応させていただいています」とお答えするようにすると、相手が一瞬怯んでくれるんです。それがきっかけになって、クレームがだんだん好きになっていきました。

窓口業務をしていると、申請書類をお渡ししながらみなさん同じように説明させていただきます。ただ、それぞれ経過が違うので、人によって申請書類の重要な部分が違ったりします。書き方のコツなど個別にお伝えするのは平等から外れてしまうかもしれませんが、それでもそこを親切に説明してあげないことの方が不平等だと感じていました。法律は、誰もが法律を全て知っていることを前提に作られているので、法律を知らなかったからその手続きが出来なかった人に対する救済措置はありません。私が思う「皆様に平等に仕事をする」というのは、法律や関連法案などに関することを知らないことで不利益を生まないことです。私に出来る範囲で丁寧に説明していました。知っていれば、後はご自身の判断ですからね。誰もが同じ状態にしてご相談を終えることをモットーに、日々窓口業務をしていました。

勤務当時、市役所に勤務する公務員は1年に1回なにかしらの研修を受けるという制度がありました。リストに「交流分析」という研修があり、目を引かれたんです。仕事を通じて人とのコミュニケーションが面白いなと感じていたので、心理学っぽいこの講座を受講してみることにしました。この時の先生から「プレイバックシアター」というものがあるよと教えていただき、その講座を東京まで受講しにいきました。すっかりのめり込んでしまい、私のこの先の人生を決めた出会いだったと思います。

プレイバックシアターとは自分自身が体験したことを即興劇として演じてもらったり、他者の話を即興で演じる演劇手法で、ジョナサン・フォックスが確立した手法です。東京でプレイバックシアターの講座が開催されていたので、それを受講するために土日に北海道から東京まで通いました。プレイバックシアターを学ぶ人は、最終的にプラクティショナーという資格を取得することを目標として、そのためにいろいろな講座を受けたり、前段階となる資格を取得したりします。講座は講師が来日する春と秋しか開催されず、しかも私自身の予定と都合が合わない時もありましたので、プラクティショナーを取得するまで20年近くかかりました。

プレイバックシアターでは、自分の体験を即興劇として仲間に演じてもらうので、自分を曝け出さないといけません。私は障がい者の妹がいるというだけで酷いことを言われてしまうなんてしょっちゅうで、私自身も仕方がない、どうせ私は、と性格がねじれていました。そんな私がプレイバックシアターのワークで自分を晒すので、ワークの度にボロボロ泣いていました。それでもプレイバックシアターの勉強をするのはとても楽しかったんです。仕事では相変わらずクレームを言ってくる人がいましたが、プレイバックシアターの勉強を通して「クレームはこうやって対処すればいいのか」と思うこともたくさんありました。 プレイバックシアターの資格取得までの20年間、公務員なので数年ごとに部署異動をしていましたが、ユーモアがある人、面倒見のいい人、思いやりがある人、どの部署に行っても仲間に恵まれ、楽しいコミュニティができてありがたかったですね。

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