仕事は最高の「遊び」!
~二十年後も仕事で遊んでいたい──「予期せぬ転機」をチャンスに変えて~

織井 智子(おりいともこ)さん

東京都生まれ。早稲田大学商学研究科(MBA)修了。日系・外資系航空会社のCAを経てフリーの研修講師へ転身。メーカー等での人事を経験後、行政書士として「おりい行政書士事務所」ならびに人材育成コンサルタントとして「とも経営研究所」を開設。大学講師、LEC講師、リカレントキャリアスクール講師。保有資格は行政書士、産業カウンセラー、キャリアコンサルタント、ソムリエ。趣味はベランダ菜園、ヨガ、ワインテイスティング。


憧れのCAからマナー講師へ

子供の頃の搭乗体験からCAに憧れていたという織井さん。夢を叶えるところからキャリアがスタートします。

スチュワーデス、今で言うキャビンアテンダント(CA)になりたくて在学中からスチュワーデススクールに通い、卒業とともに日本航空(JAL)に就職しました。当時まだ女性の就職先の間口がそこまで広くなかったですし、その中でも海外に行ける仕事がしたかったんです。旅行も好きだし、何より海外で仕事なんてカッコいいなと、憧れの気持ちがありました。
憧れと言えば、小学生の頃に飛行機に乗った時、CAが子供におもちゃを配っていたんですね。当時は子供はみんなおもちゃを貰えると知らなくて、「私も欲しいな」と配っているおもちゃをじっと見つめていました。そうしたら、CAのお姉さんが私のところに来て、おもちゃをくれたんです。「私のおもちゃが欲しい気持ちがこの人に通じたんだ!」と本当に驚いて、感激したのをよく覚えています。CAを経験した今からすると、単なる子供の思い込みなんですけど、その時にあのお姉さんがカッコよかった、という気持ちがCAへの憧れの原体験だったと思います。

就職後は、数か月間はモックアップという訓練施設で安全やサービス、緊急時の避難方法などの訓練を受けます。その後は先輩について国内線でOJTです。OJTは、とにかく先輩が怖かった、ということしか覚えていないですね……。でもその怖いOJTがあったからこそ、その後のマナー講師などのキャリアに活かすことができたので、とても感謝もしています。OJTも終了するとCAの数人ずつのチームに配属され、チームごとにフライトにアテンドされます。

当時のCAは圧倒的に女性が多いので、CA内でのヒエラルキーと独特の文化を感じました。例えばこんなことがありました。当時のメイクで、モードメイクというリップカラーを白っぽくするものが流行していて、私もそのメイクをしていたのですが、チーフが私の顔を見るなり「織井さん、今日顔色悪いわね」と仰ったんです。私は普通に「風邪とかではないので元気です」と答えたのですが、その様子を見て先輩が慌てて飛んできて、何を話したのか聞かれました。顛末を説明すると、「あんた、それ、そんなメイクするなって意味だよ!」と怒られました……。
リップカラーの指摘なんて全然気が付かなかったので驚きましたね。そういう言外の意味を汲み取れるようにならないといけなかったので大変でした。今はパワハラやモラハラという概念ができたので、そういう遠回しな言い方をせず、ポジティブにはっきり伝えるように現場も変化しているようです。それにしてもいろいろなタイプの女性がいたので、おかげさまで今ではどんなタイプの女性でも対応できる、と思えるようになりました。

日本航空は二年半ほど勤務した後、ノースウェスト航空の機内通訳に転職しました。いずれはスチュワーデススクールの先生になれたらいいなとキャリアプランを描いていたので、そのために外資での経験も積んでおけたらと思い決断した転職でした。機内通訳はCAとは違って基本的には機内サービスには携わらず、乗客の様々なお話を伺い、必要があればスタッフなどに通訳します。また外資系エアラインなので、日本人の乗客のケアも重要な仕事です。ノースウェスト航空も日本航空と同じくCAのチームがありますが、チーム内で日本人は私一人、あとは全員アメリカ人でした。

一緒に働いてみて、アメリカ人と日本人は全然違う、と驚くことがたくさんありました。そもそもCAとしての在り方も違います。アメリカ人が考えるCAは、日本人が考えるよりもずっとフレンドリーでフランクなんです。それに面白いことが大好きで、秋には勝手にハロウィンの格好をしてみたり、機長がオバケの声でアナウンスをしたり、時にはフットボールの試合の結果をアナウンスしてしまったり、なんてこともありました。そんな違う文化の人たちが一つの飛行機に一緒に乗っているので、トラブルも多かったですね。そんな時にフォローするのも私の仕事でした。日本人は誰かを呼び止める時に、相手を軽くポンポンと叩きますが、叩いた位置がCAの腰の近くだったので、セクハラだ! とそのCAが怒りだしてしまい、文化の違いを説明したこともありました。

アメリカ人は法律遵守をすごく大切にしているということもインパクトがありました。一方日本人は倫理観を大切にしている印象です。当時はまだ機内でタバコを吸ってしまう方がいたのですが、日本人CAだと、「ご遠慮ください」など物腰柔らかにお願いすることが多いです。それがアメリカ人CAになると、「法律で禁じられている! FBIを呼ぶ!」とものすごい剣幕で怒るんです。日本人は法律より先に倫理観を重んじるので、皆の迷惑になるから、機内に匂いが漂うから、という注意をしますよね。アメリカ式は日本式とあまりにも対照的だったので、とてもよく覚えています。終始そんな様子のアメリカ人の同僚たちでしたが、みんな明るくて面白くて、とてもいい人たちでした。時には雑だなと思うこともあったけれど、大好きな人たちです。

ノースウェスト航空は六年ほど勤務した後、退職してフリーランスとして独立しました。もともと実家が自営業なので、当たり前のように自分もいつか独立するんだと思っていたので、そろそろかなと。機内通訳も外資の環境も一通り経験して慣れたなと思ったころに、気軽な気持ちで退職を決意し、フリーランスのマナー講師として仕事をしていくことになりました。
業務内容は大まかに二本立てで、講師として登録した研修企業からのご紹介と、東京観光専門学校のエアラインサービス学科の講師です。特にエアライン科では、通常の授業のほかにも、面接やSPI対策など、若年就労支援にも携わらせていただきました。若年と表現しますが、新卒採用者が主な対象です。エアライン科に入学するような子たちは、みんなはっきりとした夢を描いて来ています。なのでその夢を叶えていく様子を見ていると、とても良い仕事をしているな、人のサポートをするのは素晴らしいなと思いました。卒業生が実際に空港で仕事をしているのを見るのも楽しみの一つですね。エアライン科若年就労支援を通して、キャリアコンサルタントという資格があることも知りました。

企業研修の仕事では、現場の厳しさを知ることができた貴重な機会でした。クライアントはお金を払って研修を依頼しているわけですから、求めるクオリティもそれ相応に高くなり、結果を求められます。実力のある人気講師にはリピートで何度も依頼が来ますが、それっきりということは認められなかったということです。クライアントのニーズに応え、リピートしていただける講師となれるよう、地道な努力をたくさんしました。鏡やビデオに撮って自分の様子を客観的に見たり、ボイストレーニングに通ったり、何度も同じコンテンツを練習したり、とにかく時間とお金をかけ、その甲斐あってお声をかけていただくことが増えていきました。
CAからマナー講師というと五十代前後から転身する方が多いので、当時私のような若い講師は珍しく、若者向けのブランドの研修などのご依頼をいただくことが多かったです。当時の先輩や同僚で、そろそろマナー講師に転身を考えている方もいます。私の場合、講師業のために様々なスキルを精力的に身につけたことが、今のキャリアにつながっているので、早く始めてよかったなと思います。

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