自分を仕事にしていく 今が転換期
~動き続けて掴む、新しい決意~

金入有紀子(かねいり ゆきこ)さん

神戸生まれ。小中高校をカトリック系の女学校で過ごす。大学入学とともに一人暮らしを始め、学生自治会の立ち上げ活動に加わる。新卒採用コンサルティングを行う会社に入社。会社経営の都合により退職し、農業関連のNPOに勤務。副業として八百屋での仕事を開始、その後八百屋の仕事に集中するためにNPOを辞め、2年間店長を務める。
八百屋の撤退に伴い転職。人材系の大手企業に入職。再び採用の業務に携わるが、当時小さな子供を育てながらの業務でもあり、思うようにやりたい仕事、望む環境に身を置けない葛藤を味わう。
現在は、女性によるキャリア支援を行う会社との業務契約の他、アウトドアイベントの企画運営を行う会社に所属、子どもや若年層に向けた学びの場を提供するNPO法人でも活動を行い、3足の草鞋を履きこなす。
毎朝ジョギングをこなし、山登りが趣味。地域の田んぼの会にも参加。得意なアウトドアの知識と技術を活かして、近隣の里山で「かに山冒険くらぶ」を主宰。子どもに、大人に、新しい世界が広がるきっかけづくりを目指している。

 


初めの会社で叩き込まれた度胸と即断力

活動的で実行力があり、タフでパワフル。金入さんを知る方なら、きっとそんな印象なのではないかと思います。どんなキャリアを積んでこられて金入さんが出来上がっているのか?お聞きしました。

マラソンとか山登りなど、今はそういう印象があると思うのですけど、学生時代は全然違いましたね。運動系の部活の経験もないです。通っていた学校が厳しくて、反抗期だったのもあって先生とも衝突したし、自分には合わないとずっと思っていました。それなのにクラス委員になったりするから、先生には扱いにくいと思われていたのじゃないかなと思います。
でも中には好きだった先生もいて、高校では特に興味はなかったのですが理科の部活に入っていました。その理科の先生が好きだったんです。思えば、その頃から誰とやるかを大事にしていましたね。

大学に入ってやっと学生生活が楽しくなりました。新設間もない大学だったので、仲間と自治会を作る活動をしたりしていました。心理学をやりたくて大学に入ったのですが、その他のことの方が多かったかもしれない。そんな中で、超氷河期の就職活動でした。

本当に色々受けたけど、受かったのが2社でどちらも人材系。一つは大手でもう一つはベンチャーでした。そしてベンチャーの新卒採用のコンサルティングをする会社の方に入社することを決めました。

決め手になったのが、当時の面接してくださった副社長とすごく気が合ったこと。この人とならどんな仕事でも、楽しくやれるだろうな、と思ったことです。
大手の会社に行っていたらまた人生は違っていただろうと思うけれど、やっぱり誰とやるかは私の中で大きな要素です。

主宰するかに山冒険くらぶにて。 参加者に火起こしのレクチャーをする。

そこでの仕事は新卒採用を行っていない中小企業の社長さん相手に、新卒採用を提案して、そのやり方を一緒に設計していく仕事なのですが、社長に向かって新卒ほやほやの若造が「こんなんじゃだめです」とか言うんですよ(笑)。学生の気持ちが分かるのはこちら側、というスタンスなのですけれど、かなり度胸を付けられたと思います。

いきなり担当を持たせられるし、お客さんのところでは一人ですからその場で決断しなきゃいけないことばかり。そこであいまいな提案では、跳ね返される。だから「できます!」って言いきっちゃう。それで、会社に帰ってきて「できますって言っちゃった、どうしよう」って。
でもなんとかなるよ、何とかする、という社風だったから、「できるって言ったことは絶対にできる」というのは叩き込まれました。とりあえず言い切る、調整は後でやる。

私の仕事の基礎や仕事のスタイルはそこで作られたと思っています。

忙しかったし仕事も大変だったけどやりがいがあったし、楽しかったです。仕事もプライベートもごちゃまぜみたいな感じで、社員も仲が良くて、仕事もよくしたけどよく遊びもしました。マラソンも、その会社でマラソン部があったのが始めたきっかけです。

 

その会社のブランディング戦略でもあったのですが、厚遇で社員専用のバーがあったりと言ってみれば派手な感じで。それが広告になっていて、実際に業績も上がって新入社員もどんどん増えていった。でもだんだんそのバランスが崩れてきて、傾きだして。
雇用形態が変わる、という提案があって、退社しました。ちょうど後輩が、前から興味があった農業のNPOで働いていて誘ってもらったこともきっかけです。

残念でもあったけど、もともと切り替えは早いし、今思えば、会社の成長と衰退を内部で見られたというのは貴重な経験でしたね。

 

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