働くことは人とのつながり
~「この人と働きたい」がモチベーション~
江頭 説子(えとう せつこ)さん
杏林大学医学部 医学教育学教室 講師
東京女子大学短期大学部を卒業後、一般企業に就職。11年勤めた後、東京女子大学3年次に編入学。出産・育児を行いながら学部、前期博士課程を修了し、その後千葉大学で後期博士課程を修了し博士号を取得。専門は社会学。複数の大学で非常勤講師を務めた後、東京女子大学にて女性研究者研究活動支援事業にコーディネーターとして従事。その後、杏林大学にて男女共同参画推進室でコーディネーターを務め、2019年4月より医学教育学教室にて講師として勤務。
キャリアのスタートから大学、大学院へ
ご自分の人生を「開けてみたらこうなってしまったという人生で、まさしくごちゃまぜの人生です。」とおっしゃる江頭さん。研究者として大学教員として多くの経歴と実績をお持ちですが、キャリアのスタートは一般企業でした。
キャリアのスタートはサラリーマン。メーカに一般事務で入社しました。ちょうど男女雇用機会均等法の2年前で、2年後に女性社員は全員総合職になりました。その会社は、ある意味人使いが荒く、ある意味だれにでも仕事を任せる、チャンスもある、という社風でしたね。3年目に異動になり、支店の営業アシスタントから営業部隊全体をサポートする部署へ、さらに事業部へと仕事はどんどん変わっていきました。その会社に11年いて、退職します。
退職には割とはっきりした理由がありました。入社から10年経ち、これからの進路を考えなくてはいけない時だったのですが、部署の異動も多く仕事もよく変わるので、この道を極めてみたいと思ってもそれが叶わない。短大卒業で特に専門もなかったので、専門的に何かを勉強してみたいと思ったのです。
そんなことをモヤモヤ考えているときに、雑誌の中づり広告に「社会人よ、大学院を目指せ」って書いてあって。ああ、そういう道もあるんだ、じゃあまずは大学を卒業しよう、と。
気持ち的にはお稽古ごとのひとつのような感覚があったのですが、働くことの意味を考えたいというのと、構造的なものに関心があったことから、社会学、しかも労働社会学をやろうというのは決めていました。そこはやりたかった。
労働社会学を選んだきっかけは、職場って本当に面白いな、と思っていたことです。
例えば人事異動っていうものは不思議で、内示が出る日は誰がどこに異動するということの情報収集が行われる。明日の朝になれば全員がどこに行くかが告示されるのに、事前に情報を収集して、昼休みも終業時間後の飲み屋でも、この異動にはどういう意味があるかなどを議論するんです。
それを見ていて、すごく面白いなって。そういう職場の構造というものを考えたい、知ってみたい、と思っていました。
また、同じ部署で働いていた同期の男性と収入が全然違うということを何かの時に知って、上司に理由を尋ねたことがあるのです。その時は私のせいではなくて、「構造的にそうなっている」と言われました。
「構造的に?その構造って何?」と、不思議でしょうがなかったですね。
それから大学の3年生に編入学して一回り年下の学生たちと勉強しました。大学は楽しかったです。
実は編入した年の11月に出産もしています。入試の時は気が付いてなかったのですが、入学式のときには妊娠していました。出産後、大学がある日はスポットで保育所に預けて、大学に行っていました。
大学に編入学した1995年がまさに人生のターニングポイント。編入学も出産もその年。さらに阪神淡路大震災があり、「形ある物はいつかはなくなる」と実感しました。形ある物にお金をかけるよりも自分の血となり肉となるものに投資しよう、と。
大学に編入学したことも「これで良かったのだ」と心から思えました。そこからが、私の第二の人生だと思っています。