プラスアルファの現場経験を求めて

復帰された山浦さんは、より中国に関わる仕事へとステップアップしていきます。あることをきっかけに、それまでとは違う思いがけない方向にキャリアを進めることになりました。

4社目は海外からの技能実習生の仲介するG団体でした。中国からの実習生もいましたけど、ベトナムからの方が人数は多かったですね。最初は時短勤務から始まり、トータル2年半のキャリアとなりました。勤務先は監理団体という位置づけで、業界や業種によって各省庁から認可資格の取得が必要になり、いくつかの認可を受けていました。私の担当業務は、実習生を受け入れたい企業の担当者と現地での顔合わせをアレンジすること、実習生が入国して雇い入れするまでの申請書類づくりや航空券の手配の依頼といった進捗管理などです。後半は実習生のお迎えなんかもやりました。実習生は入国後から勤務開始まで、日本の文化生活に慣れる期間を設置するよう定められているんです。空港に到着した実習生を借り上げ施設まで送り、共同生活のルールなどをレクチャーしていきます。それから勤務先への引き合わせの場への立ち合いもありました。

実習生は基本的に、それまで日本で生活したことがない状態で来日するので、私がどれだけうまく采配してあげられるか考えるのが面白かったですね。日本的な「空気読む」みたいなのをどれだけ分かりやすく説明してあげるか。例えば玄関で「靴を脱いだら揃えて」も、それだけそのまま言うだけではダメなんです。「そろえてとは?」となってしまう。靴の内側をくっつけて、つま先を外に向けておくのが正しいとされています、なんてところまで説明します。日本人が無意識にやっている部分までまるっと通訳してあげないと伝わらないわけです。ある行動が本人の意図と違って受け止められてしまうことがある、という文化的背景を教えてあげることは少なくなかったです。靴なら1回説明すれば大丈夫ですけど、職場のルールだと難しいですね。上司の動向を読み解いて説明して、上手くできた時は嬉しかったです。客観的な視線を如何に持てるか、先読みして先読みして対処することが大切でした。

4社目転職の理由は、年収をもう少し上げたいと考えたからです。日本式の会社だったら、長く在籍すれば少しずつ給与が上がるのかもしれないですけど、そうは考えずシビアに捉えていました。自分のスキルを評価されて、その対価としてお金を貰うべきだ、という発想が自分の中に根強くありましたしね。その点で言うと、技能実習生の仲介というポジションでは、私に今より高い価値を見出してくれるシチュエーションが思い浮かばなかったんです。中国語の通訳はそうなり得るスキルの一つだったかもしれないですけれど、技能実習生の中国人の比率がどんどん下がって行っていて、使う機会が減っていました。なのでここで頑張っても自分が稼げるお金は少ないんだろうな、年収を増やしてしっかり生きていかなくてはと、4回目の転職を決意しました。

5社目の株式会社Hは、Twitterの分析ツールを開発している企業でした。東証マザーズに上場していて、ソーシャルビッグデータ解析業界では有名です。自分の職歴に箔がつく、価値を高めることが出来る、そんな転職が出来たと思います。Hの子会社で、中国向けマーケティングの支援に特化した株式会社J社に籍を置くことになりました。同社での私の仕事は、上海で現地の市場調査や、レポート作成している関連会社のレポートの翻訳チェックなどです。私も自分自身で中国のニュースやSNSを見て、会員向けの記事の提案をして書かせていただいたりしました。自分から中国の情報を取りに行って、中国文化に触れたことのない人にも理解しやすく解説してあげるような内容の記事をよく書いていました。文化丸ごと翻訳するような感覚で、すごくやりがいがあったし楽しかったですね。
一方で、本社の広報部門にも所属していたので、コーポレートブログの記事なども書きました。Twitter分析ツールを自分たちでも使って記事にするんです。たとえば父の日と母の日でTwitterに呟かれるキーワードの違い、ですとか。他にもポジネガ分析や年代分析などもできるので、これを使って何か面白い記事を書かねばと、数人で週次で記事執筆を回していました。そのほかにも、ソーシャルモニタリングというインターネット上で自社の悪評が立っていないかをモニタリングできるツールを提供している事業部もあり、知見を深められました。

J社での業務を通して世界が広がりました。そうした意味でも入社できて良かったです。当初は年収を上げるための転職でしたが、まる1年ほどで退社しています。転職の理由は、この会社でそれ以上在籍していた時のことを思い描けなかったんですよね。私はこれからどうなっていくんだろう、と。言葉にすると他人のせいにしているみたいなのですが、「自分がこの先どうなりたいか」という具体的なものがあまりなかったんです。それ以外では自分が中国のビジネスの現場に入れている実感が欲しかったのですが、J社では期待していたほど強烈には感じられませんでした。中国に関する記事執筆のための情報収集をする際、中国のプラットフォームの中で、中国語で検索して、このネタならここを見れば分かる、といったものを嗅ぎ分けていかなくてはいけません。そうした経験を積めたことは自分の自信にはなったのですが、やはりそれだけではなくプラスアルファで現場経験が欲しいなと思いました。
例えば現場でサンプル配りをするだとか、現地のデパートを半日じっくり視察するとか、いっそ現地の飲食店の店員をやるとか。やりたいことを論理だてて提案すれば、受け入れられ実現していたのかもしれないですが、私の実力不足で、そうした試行錯誤することすらできないままで。実際自分から提案してやるのだとしても、子どももいたのでどこまで出来たのかも分からないですしね。そんな現場での経験をしたいという思いが、次の転職のきっかけになりました。

6社目は自分からアプローチしての転職ではなく、ビジネスSNSのウォンテッドリーからのスカウトでした。音楽教室を運営しているベンチャーのC社です。中国で生産している楽器を仕入れて、教室の生徒さんに低価格で販売するという事業形態で、最終的にはその会社のオウンドメディア担当として記事更新をして欲しいというオファーでした。それで面談の段階で、「12月に中国現地の楽器工場をめぐるプロジェクトがある。担当が行く予定だが、その通訳と、宿泊先や交通手配などのアレンジをお願いできるか」と聞かれ、「めっちゃ面白そうじゃん!」と思いました。現地に行って何かする、体当たり的な感じが好きなんですよね。

転職して入社した12月はほとんど出張と事務処理で、年明けの1月からオウンドメディアの記事を更新していくことになりました。ところが方針変更に伴い、自分の担当業務もメディアではなく顧客対応の部門になることに。条件面も当初想定ものと大幅に変更が生じることが想定されました。土日勤務もあるし、仕事は中国と関係ないし、ここで頑張る意味はあるかなという考えが浮かんでしまいました。 転職したばかりでこんなことになって、どうしようかなと思っていた頃、学生時代に知り合った方が中国に関連した事業を手掛けており、「会社のためにウェブ記事を書いてもらえないか」と提案いただきました。その会社のブログの更新をやってくれないか、と打診されていたんです。当時は6社目の仕事時間の合間を縫っての対応でよければやります、とお返事していたのが1月頃。勤務先での雇用条件の変更が決まったのが2月頃です。もしかしてブログ更新以外にも仕事があるのではないかなと思い、「業務委託でやらせてもらえることありますか?」と打診してみました。そうしたら「あるある!」とお返事をいただけて、しかも中国と関係するお仕事だったので、それならしばらくそれを頼みにしてフリーランスをやってみようかな、とキャリアの方向転換をしました。

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