真逆の業種への転向、敢えて得意を封印して得た新しい筋肉

SAPで人並外れた業績を次々と打ち出していった金田さん。更にスキルを伸ばすために選んだ転職先は、誰もが驚く異業種企業でした。

SAPでプレイヤーとして7年、マネジメントとして8年勤めた後、大手製造業の株式会社ミスミグループに転職しました。転職した理由は、SAPでは一通りのことが経験できたなと感じたからです。自分の伸びしろやキャリアパスを考えると、もっと大きく成長したいなと感じたことが決め手となりました。2013年当時、GoogleやAmazonなどのいろいろなIT系外資系企業からヘッドハントされていましたが、その中でもミスミは外資ではなく日本企業、営業ではなく事業、ITではなく製造業。SAPとは真逆、180度違う企業だったことが決め手となりました。自分の特技を封印して、更に自分の伸びしろを上げようとチャレンジしたくなったのです。

当時の僕は38歳。35歳転職限界説がメディアに取り上げられていた状況での判断です。自分で選んだとはいえ全く未経験の分野ですから、相当な度胸が要りました。ただ、未経験だから、違う分野だから、と言い訳はしたくなかったので、絶対に成果を出そう、と腹を括って入社しました。

ミスミにGM(ゼネラルマネージャー)として入社してみて、外資と日本企業の共通点や違いをはっきりと体感することになりました。まず共通点は、日本企業も海外進出を展開していたこと。また、IT化の波が来ていたことです。これらの点ではSAP時代の経験が役に立ちました。違うと感じた点は意思決定のスピード感です。外資系は速やかに意思決定できることを重要視していますが、実行面で現場が混乱することがよくあります。だからトップダウンでチームを導く「リーダーシップ」が求められます。新しい物事にも積極的にトライ&エラーでチャレンジします。一方日本企業は、確実に実行できるというところまでリスクを潰します。意思決定までのステップが多い反面、実行面で統制力が高いことが分かりました。だから現場主義(カイゼン)に至る緻密な「マネジメント」が求められます。トライ&エラーより、徹底的に戦略や計画を磨き上げていく考え方が印象的でした。

こうした外資系と日本企業の違いをはっきりと体験することができたことは、僕の後々のキャリアにおいて大きなプラスになりました。外資系役員で、以前は日本企業に勤めていたという人はたまにいますが、日本企業で役員に就任したことがある人は稀です。更に、一度日本企業にマネジメントで転職してから外資に戻った人となると、もっと少ない。日本企業と外資系企業の両方のマネジメントの経験があるというのは、僕のユニークな強みとなりました。利き腕となる右腕・右足だけでなく左腕・左足も使えるほど、今まで使ってこなかった筋肉を鍛えられたことが、その後のキャリアを大きく飛躍させることになりました。

ミスミは三枝匡さんという伝説的な経営者の方が当時会長をされており、経営者として事業計画を立てるにあたって、彼に経営哲学を叩き込まれたことが本当に貴重な経験となりました。三枝匡さんの有名な著書に「V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (三枝匡/2006年/日経ビジネス人文庫)」があり、そのストーリーを新規事業のフィールドでそのままリアルに経験させていただいた感覚です。事業戦略を仕上げて経営会議に望んでも「こんなんじゃダメだ」と突き返されてしまい、もう一度経営会議をして……その繰り返しでした。三枝匡さんの経営者としてのフレームワークの豊富さ、そこから繰り出される深い洞察、事実に基づいた身をえぐるような質問の鋭さ、ご自身が経営者として大変な修羅場を多く乗り越えてこられたからこそ、同じ轍を踏ませたくないという想いからくる厳しさを肌で感じることができました。経営の難しさと奥深さをたくさん学ばせていただき、それを自分自身の事業計画で実践することは、IT系外資系企業の経営者となった今において本当に貴重な経験になりました。

ミスミの5年間の在任後、AI・チャット管理クラウドソリューションを展開するLivePersonに転職しました。自分のキャリアプランを見据えた時、このままミスミにいるのではなく、グローバル企業のスタートアップ中枢で経営の舵を切る責任者になってみたいなと思い、転職先をLivePersonに決め代表取締役となりました。LivePerson本体はNASDAQに上場しており、いわゆる零細やベンチャーと言う規模ではないのですが、SAPやミスミと比べたらまだまだ若い企業です。そうは言っても上場しているので、期末を越せばアニュアルレポート(年次報告書)に僕の事業の采配の結果が掲載されて、株価にも影響を与えます。なので相当の責任感を持ってこの状況に挑まないといけないな、と身を引き締めました。

入社してみると、会社組織として必要な機能がまだ整備されていないし、みんな一人で三人分の仕事を何とかこなしているような状態で、うまくマネジメントしないとすぐにパンクしてしまう、なのに人がバーンアウト(燃え尽き)して毎日のように辞めていく……そんなカオスな状況からスタートとなりました。入社当初からトラブルが続き、事業成長どころではなかったのです。対処療法ではなく根源を解決しなければと冷静に現状を俯瞰・分析し、トラブル内容から共通の原因を推測してエンジニアに根本解決を依頼したり、様々な取り組みをしました。また、部下はつい自分で何とかしなくてはと抱え込んでしまいがちになるので、すぐに情報共有できるようにしたり、僕が責任を負うことをしっかり示したり、出来る限り成果や良い対応を褒めたり鼓舞したりと、人へのケアを人一倍考えて行動していました。

何よりも重要だったのは、明確な戦略(地図)を策定し、全員のベクトルを合わせていったこと。集中することとしないことを明確に分けたこと、そして必要な組織やプロセスを整備していったことです。そうして立ち向かった結果は、1年目は260%増益、3年目は2年目に対し370%の増益を達成することが出来ました。社内の売上シェアも、初年度はアジア・パシフィックのシェアが0.1%だったのが、翌年は20%、翌々年は76%と飛躍的な拡大を実現することが出来ました。何よりも、カオスを乗り越えるたびに社員一人一人が大きく成長し、後継者育成も含めた更なる事業基盤・収益基盤の強化ができたことが大きかったです。 僕は「成功者」として取り上げて頂くことが多いですが、自分自身の認識とは少し違っていて、「最大の苦労人」だと思っています。確かに人より早く出世したけれど、その分だけ苦労も人より早かったし多かった。それらの全てがバネになって、今のキャリアの源泉となっています。SAP、ミスミを経て、「日本企業の内情が分かる外資系経営者」というユニークなキャリアを築くことができましたし、LivePersonでは「日本進出を考える外資企業のスタートアップを軌道に乗せる」という今後の路線を確立させることが出来ました。ミスミを経験した後にLivePersonに入社したことで、よりグローバルな視野を手に入れる機会にもなったと考えています。僕が破壊的企業と呼ぶような新しい価値を生み出すイノベーション事業は、やはりまだその多くが海外から生まれてきます。日本からもそうした視野を持って、新しいグローバル事業が立ち上がればいいなと、後述の勉強会などで僕の経験をシェアさせていただいています。

次のページ

 

1

2

3 4