「予期せぬ転機」から得た新しいキャリアと選択肢

キャリア講師としてスキルを向上させていた織井さんですが、思いがけない出来事がキャリア見直しのきっかけとなります。

マナー講師のキャリアを考え直すきっかけとなったのは、離婚の経験でした。引越するなど環境ががらりと変わったので、立ち止まって自分のキャリアを見直してみたんです。離婚に限らず女性には結婚や出産など様々なライフイベントがあって、その度に自分のことを見直したくなるのではないでしょうか。そうして振り返ってみると、マナー講師という仕事はどこか生ぬるい、ホワッとしている仕事だなと思ってしまったんです。仕事に手を抜いていた、全力ではなかった、という意味合いではないのですが。
マナー講師が企業と関われるのは研修までで、会社の本当の部分に立ち入っていけないんです。更にマナー講師の前はCAだったためオフィスワークの経験がなく、例えば上司と部下の関係性といった内容の相談を受けた時、実体験に基づいた回答ができないことも悩みでした。そうした状態だと、ヒアリングでも立ち入ったところまで踏み込めていないのではないかなと感じて、もっと会社組織の全体のことを知りたくなり、フリーランスのマナー講師から会社員への転職を決意しました。いずれまた独立するのだとしても、その時はちゃんとした──プロとして社会に貢献していて、社会に私の存在意義があるような仕事をしたいなと思いました。

そう考えると、経営などビジネスについての勉強をもっとしてみたいという思いも湧き上がり、スクールや大学院などの情報を集め始め、その中に早稲田大学の商学研究科がありました。MBAが取得できる社会人向けの夜間大学院です。受験要綱を読むと、フリーランスよりもどこか企業に属していた方がメリットがあるような印象だったので、ますます転職熱が過熱しました。スチュワーデススクールの若年就労支援が面白かったので、同じような仕事ができたらと思い、転職エージェンシーに登録して人事関連の就職先を探しました。エージェントには人事の経験なしでの中途採用は難しいと言われていたのですが、総合アパレルメーカーITOKIN社の求人で、現場の店長向けの評価・コミュニケーション研修ができる人材を求めているものがあったんです。マナー講師はアパレル関係の依頼も多かったので、その経験も評価していただき、無事採用となりました。

総合アパレルメーカーITOKINでは、外資系コンサルティングのT社が主体となって人事制度の抜本的な改革に取り組んでいる時期に入社しました。所属は経営企画室です。T社が評価制度などを作り、出来上がった制度や基準を現場の店長や販売員さんに落とし込むための研修を作成するのが私の担当業務でした。店長向けの評価研修やコミュニケーション研修、販売員向けの研修実施のために、全国の支店に出張に行きました。研修のほかにも制度構築や採用のお手伝いもさせていただき、人事としてのキャリアを積むことができました。そうした経験が、目指していたMBA受験時のゼミ選定にも生かすことができたので、その点でも嬉しい経験ですね。MBAのことは入社時点から上司に報告していたので、受験や通学に際しとても応援していただきました。

ITOKINという会社に入社して社内を見てみると、いろいろな発見がありました。当時のITOKINでは、定時や朝礼があるのがCAと違い新鮮でした。業務面でも、総合アパレルでブランド制を採用しているので、各ブランドにデザイナーがいて、ブランドマネージャー、調整役のMDもいて、同じ部署や役職でもブランドごとに雰囲気や文化が全然違います。ブランドカラーというやつですね。ITOKINで中国に工場を持っていて、そこに発注する様子も、モノ作りはこうやっているんだ、航空会社と全然違う! と、何を見ても面白かったですね。また現場研修をレクチャーするという業務だったので、いろいろな部署、いろいろな立場の人と話すことができたのも素晴らしい経験になりました。

しばらくして、社内で人材整理や早期退職依頼が進められるようになり、社内の雰囲気が変わっていきました。現場の研修でご一緒した方がお辞めになったりしたので悲しいなと思っていた頃、友人の紹介で化粧品を扱うN社の人事のポストのお誘いをいただきました。ITOKINに残るか迷ったのですが、N社側は「好きなことを何でもやって良い」と仰ってくださったので、それなら挑戦してみようと転職を決意しました。

N社は化粧品を製造する企業です。これから社内教育を始めたいとのことで、教育や研修を作れる人材を募集しているところで、私は友人の紹介からマッチし入社しました。教育制度はまだ何もない状態だったので、教育体系を一から全部、自分で作ってしまいました。それから新卒の採用や、入社した新人教育なども担当させていただきました。どれも何もない状態のところから創り出すので仕込みがとても大変でしたが、他社でやっていたことを引用して自社向けにアレンジしたり、MBAで学んだことを活用して作ることができたので、苦労したというよりはとても楽しかったです。ITOKINに比べて会社規模が小さいので、思いついたことをすぐにテストできる環境なのが良かったですね。フリーランスや業務委託だと、クライアントの意向ありき、勝手に研修内容などの変更はできませんから。その点会社組織は、たくさん人がいる中で自由にフィールドワークができるところなんだなと思いました。もちろん権限や予算の都合もありましたけど、それは事前にプレゼンや交渉して獲得すればよいものなので、それほど障壁とは感じませんでした。

一方のMBAでは独立を考えて事業計画を作成し、起業コンテストに応募するなどしていました。事業計画作成のための下調べで、行政書士という資格があるのを知り、公正文書などを作成できることを知りました。当時私がやりたかった、離婚に悩む女性を支援するビジネスプランには行政書士資格は欠かせない! と思い、大学院を一年休学して行政書士資格を取得、その後復学しました。N社内にも資格取得したこと、いつか行政書士として開業・独立したいと考えていることは伝えており、2015年に在籍中ではありましたがおりい行政書士事務所を立ち上げました。

その後、N社でも人材整理が始まり、資格取得し開業している私も早期退職の対象となってしまいました。2016年のことだったと思います。退職など全く考えていなかったのでとてもショックで、受けるつもりはなかったんです。ですが退職金が割り増しになると聞き、これはむしろチャンスと捉えて、退職金を開業資金に充ててもいいんじゃないか、と算段して早期退職を受諾しました。一年と少しは仕事をしなくても大丈夫な額だったのですが、ありがたいことに美容室からマナー講師のご依頼をたくさんいただきました。美容室はもともとN社の商品の販売先で、社の営業の方に同行してマナー研修を実施することがよくありました。これは「この商品を購入すれば、こんなサービスもつくよ」という付加価値としての研修です。そうして美容室向けのマナー研修ができると分かると、美容室から個別に研修の依頼を受けるようになっていました。退職することが決まってからいただいたご依頼は、退職することをお伝えして、一つ一つ業務委託として契約書を取り交わさせていただきました。

この早期退職も、私にとって大きな転機、ターニングポイントだったと思います。MBAで勉強した「シュロスバーグのキャリア理論」の中で、「三つの転機」というのがあります。「予期せぬ転機」、「予期された転機」、「起こらなかった転機」の三つのうち、離婚もN社退職も、私にとっては「予期せぬ転機」でした。シュロスバーグは「予期せぬ転機はチャンスと捉えることができる」と続けていて、本当にその通りだなと。思いがけず早く退職・独立になってしまったけれど、チャンスをうまくものにできたなと実感しています。

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