紆余曲折して得たもの

忙しくもやりがいがあり、満足して続けていた仕事。「切り替えは早い方」とおっしゃる言葉の通り、すぐに別の、それも畑違いの会社へ移られます。そこからの新しいチャレンジと気づきの日々が今現在に繋がります。

退社した時はもう大阪から東京に転勤になっていて、結婚もしていました。なぜかその時から農業に興味があって、社会人の農業ビジネススクールのような講習に通ったりもしていました。
その頃ちょうど、有機とか無農薬などがトレンドではあったのですが、私の場合は食というより農業。作物を育てるということに興味があった。そんなことを知っていた後輩が、退社するときに引っ張ってくれて農業関係のNPOの会社に入りました。
毎週六本木でマルシェを開いて、東京近郊の農家さんが出店する活動をしていました。若いこだわりのある農家さんに会って、刺激的でしたね。今までとはまるで違う世界。こんな人たちがいるんだ、すごいなぁって。

農業のNPOで働いているときに、農業ビジネススクールで出会った方が八百屋を始めると聞いて、家の近所だったので手伝い始めたのです。その時はパートで、2足のわらじで。
当初八百屋の店長をしていた人が辞めることになって、八百屋一本に絞って店長を引き継ぎました。二人目の子を出産した時期でもあるのですが、人員もぎりぎりで回していたので、産後2カ月と少しで復帰しました。

2年間、店長を務め、八百屋が撤退するのとともに退職しました。残念ではあったけど、限界でしたね。体力的にも、ビジネスとしても。

その八百屋で提携する農家さんからお野菜を送ってもらって販売していたのですが、その送料分やっぱり価格は高くなる。そうするとやっぱり売れない。

車で移動販売したり、手作りチラシを作ってポスティングしたり頑張っていたと思います。そういう自分で考えて工夫するっていうのは最初の会社で素地ができていたし、言われたことをやるよりそういうスタイルの方が向いている。熱が入るんですよね。

新宿のオフィス街に売りにいったこともありますよ。あー、まえはこういうところで働いていたのに、今は野菜売るんだなって(笑)。社員は店長一人だから、車を運転して一人で売って一人で帰ってくる。店にいる日は1年中冷房を効かせているから、体は1年中冷えているのです。冷えて疲れはたまるのに、どうにも売れない。いろんなことが限界だったと思います。

娘さんと息子さんもお手伝い。

そんな風だったので、次は大手で、きちっと決まった給料で時間も定時でというところがいいかな、という気持ちになっていたんです。それもかつての後輩のつてで大手の人材系企業で採用の仕事に契約社員として働くことになりました。

採用の仕事と言っても、面談の設定や合否通知の電話など事務作業がメインで以前のような採用の設計部分を担当するわけじゃないということはわかっていたのですが、やっぱり向いていなかったのですよね。
大手企業だから分業体制もしっかりしていて、ルーティンを滞りなく進めることが最優先に大事なことで、個人情報を扱うからミスも許されない。確認の確認の確認、というのが当たりまえ。確かに当たり前なのですが、私には合わなかった。
なので、自分から設計部分の仕事を取りに行ったというか、できることをアピールして、最後の1,2年はそういう仕事もさせてもらいました。

 

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