第二の人生

大学に編入学した1995年が第二の人生のスタート。その後、大学院へ進まれます。当時の江頭さんは、大学院を出ても実は企業に就職するつもりでいたそうです。大学で教えるなんて思いもよらなかったそうですが、大学院卒業後には教員の道へと進まれます。

大学院の卒業前、指導教員に就職のことを聞かれた時、その大学院が西千葉にあり通学が大変だったので、就職するなら小田急線沿線がいいと答えました。「小田急線沿線の大学を調べておいてください」と言われ、いくつかリストアップして。するとしばらくして指導教員から「非常勤講師が決まったから」と言われました。

私は教員免許も持っていないし、人に教えたこともないし、大学の教員なんて無理だと思ったのですが、指導教員が「大丈夫、大丈夫。大学の教員なんてみんな無免許だから」って言うんですよ。
それで4月から二つの大学で非常勤講師をすることになったのです。

ひとつは、プレゼミという形で1年生に本の読み方やレジメの作り方等、基本的な大学での学びの方法を教える授業でした。非常勤講師先の大学からは、「高校を卒業したばかりの1年生は、決まった教室もない大学で居場所をなくしてしまいがちなので、母のような気持ちで接してくれればいい」と言われて、それならできるかもしれないと思いました。

もうひとつは、社会学入門の講義です。実際にやってみると、とても大変でした。90分の授業を15回、内容を埋めるのにアップアップでした。90分って結構長いんですよ。今思い出しても怖いくらいです。

その後の非常勤講師時代は長かったですね。授業は増えたり、減ったり変化はありましたが、一番多いときは週に10コマくらい担当していました。午前と午後で違う大学に行っていたこともあります。
そうなると準備だけで首が回らない。「これはまずい、このままじゃ研究する時間が取れない」と思いはじめ、その時ちょうど研究したいテーマもあったので、授業数を減らして整理をしていきました。

非常勤講師の仕事で研究の時間が取れないことを、お世話になっていた先生に相談をしていたんですね。先生は、「いい加減研究しなきゃね」と言って、その時は賛成をしてくださったのですが……。
ちょうどその時、東京女子大学が文部科学省の女性研究者研究活動支援の補助事業に採択されて、相談していた先生がそこの室長になられることになったのです。すると、先生が「非常勤講師の授業を整理したでしょ?残っている時間で東京女子大学に来られない?」と言われ、結果的に東京女子大学の女性研究者支援室のコーディネーターの仕事に就くことになりました。

女性研究者がライフイベント時に研究が途絶えないように研究をサポートする制度を作ったり、大学院生に研究者のロールモデルと対話する機会を提供したりという仕組みづくりをする仕事でした。補助期間が終わるまでの2年半が任期でした。

任期が終了してからどうしようかと考えていた時に、杏林大学でも同事業に採択されコーディネーターを探していることを知りちょっと受けてみようと思ったのです。するとなんと、面接の相手が白衣を着た女性医師3名だったのです。
その時「ああ、これはもうないな」と。私は今まで、白衣を着ている人と仕事をしたことがなかったので、これは無理だな、と思いました。

次のページ

 

1

2

3 4