いった先々で出会う「光る人」との出会いが次への扉に

身軽なフットワークで来たチャンスを逃さずつかんできたようにも思えますが、お話を伺っていると決断の理由には一つの共通点が見えます。それは「人」です。

都市設計工房でのアルバイトで都市計画にはまったのは、そこでお世話になっていた呉さんとの出会いがすべてです。都市設計工房に入ったことともそうですが、なかでも呉さんとの出会いがその後を決定づけたと思います。

呉さんは僕より一回り年上の方で、歴史的な知識がものすごく豊富でした。都市計画なので、対象の地域のその歴史を知る必要がある。まちづくりをするためにはそのまちの歴史を紐解かなければいけないのです。仕事上の成果物の報告書として、地理的にこういう位置で歴史的にはこうなるという調査も必要だし、絵も描く。そうやって今まで自分が仕事をしながら得た知識を夜な夜な教えてくれるんです。
呉さんがとにかく徹夜する人で。他の社員が10時11時に帰っていく中で、僕と呉さんだけがそこからまた始まる。帰ったところで呉さんから1000円札渡されて買って来いって渡されて下のコンビニからビールとおつまみを買ってくるんですよ。そして二人で飲みながら、仕事や歴史などの話を聞いてすっかり感化されて。都市計画の奥深さと面白さを知りました。

京都の地球デザインスクールに行ったときは、そこの陣頭指揮をとっていた樋口彩土さんという方がいて。
大学ではすわって建築図面を描いていたのですが、ここでは自分の体を動かして手作りでひとつひとつ作っていく。レンガの一つからそうなのです。一日の作業が終わったら軽トラの後ろに乗り海に行って、海に飛び込んで魚を取って食べたりというような生活。いちから手作りで、自力建設でやっていくことにすっかりはまりました。

自分はこの人について行こうと思って高野ランドスケープに入社させてくださいとお願いしたんですね。その後東京に戻ったときにまた高野ランドスケープの仕事に呼んでくれたのも彩土さんです。
ペンキ屋の仕事も同級生とやっていたし、手作業は好きなので楽しくて、その後のこともあまり考えず飽きるまでやろうと思っていたんですけれど、縁があって呼んでもらって。そこにいたのが二宮晴夫というアトリエハルの代表で。二宮さんとも、僕は気が合ったと思っているし、向こうもそうだったと思っています。(笑) それで入れてくださいとお願いしました。
アトリエハルは、建築もやるし、都市計画もランドスケープもやる。いろいろなことをやれるところだというのも、もちろん自分の希望にマッチしていましたが、一番の魅力は二宮さんだったと思います。

いつも弟子入りして入れてもらうような感覚で。いつもいった先々でその時の自分にとって「光る人」について行くという感じです。
でもこちらがいくら気に入ってもやはり受け入れてもらえなかったらダメで、向こうも気に入ってくれるからだと思います。確かに、仕事を選ぶときにも関係性が先だったかもしれないですね。
そうやってつながりから選んできている変遷があるので、いまでも関係は常にあって。アトリエハルで高野ランドスケープの仕事をした時は、今の社長と前の社長からいろいろ言われる、という不思議な経験もしています。(笑)

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